能登の地震で少しずつボランティアの登録(受け入れはまだ)が始まっている。
過去に,都留文大の教育学科で,将来の先生に向け講義を行った。
『ボランティアってなに?』
みんなはどう思うだろう。被災地やどこかの現場で,泥をかき出したり,被災した家屋からつぶれた家具を運び出す。
そんなイメージではないだろうか?
貴方がコンビニに買い物に行く。お会計の時に募金箱が目についた。おつりが少しだったから少しでも役に立てばと募金した。
これって立派なボランティアですから。
えっ?て思われるかもしれないけど,ボランティアの基本的な精神がわかれば納得すると思う。
『ボランティアとは,
自分の意志で行動し,自分の行動に責任を持ち,一切の見返りを求めない。』
貴方が募金したのは誰かに強制されたから?
募金をすることで,お店の人から「ありがとう」って言われるのを期待した?
そうじゃないよね。
自分の気持ちで募金したんだから立派なボランティア。
ボランティアは活動するだけじゃない。自分の普段の生活の中でいつだって出来る。
道のゴミを拾うのもボランティア。
隣のおじいちゃんの代わりに庭の植木に水をあげるのもボランティア。
泣いてる子供と遊んであげるのもボランティア。
助け合い,いい社会を作る行動がボランティア。
だから活動していないから,現場に行って行動していないからなんて思わないで,普段から出来る事をやればいい。
社会人の面接で,面接官が,
『学生時代,何か社会貢献をしましたか?』
この質問に対する多数の返答が,
「ボランティアに行きました」
どんな種類にしても,まぁ面接官は納得する。
これがあかん!
そのボランティアってさ,どこかの団体が募集したボランティアツアーに参加して,どこかの場所や施設に行った?
サークルで決めたから参加した?
もう一度ボランティアの精神を考えてみて。
自分から行きたいと思った?
交通機関は自分で用意(電車・バス・車)した?
食糧は全部持って行った?
テントや寝袋など,自分の寝る場所は確保した?
トイレなどの排泄処理は自分でやって持って帰った?
あなたはいくつ当てはまりましたか?
団体やサークルが用意したバスで,本当は行きたくないのに先輩がうるさいとか,面接で有利だからという理由で嫌々参加しなかった?
泊まるところはホテルなんかで,お風呂もシャワーも入れて,食事も3食付いてなかった?
帰るときに,現地の人から終了の挨拶なんかで有難うって言ってもらって,お土産もらわなった?
これ一つでも該当すれば,貴方がやったのはボランティアではありません。
世界ではこのボランティアの精神をよく知ってるんだけど,なぜか日本人はほとんど知らない。
私が講義を受け持った学生も殆どが知らなかった。
なぜこういう話をしたか。
311(東日本大震災)の時,多くのボランティアが現地に入った。
もちろんん現地の人はありがたく思った。
でもあることがきっかけで,その地区には自衛隊以外のボランティア入れなくなった。
其の一
ボランティアセンターがその日の役割やエリヤ,活動を決めるんだけど,ある日何人かのボランティアは「今日は人手が足りているので休んでてください」と言われた。
そのボランティアはどうしたか?
『なんでだよー,せっかく来てやったのにやる事ねーのかよ。ふざけんなよ』
災害現場でボランティアの仕事がない。
これどういう風に考える?
そのエリアの作業量に対して,ボランティアの数が多いのも事実。
でもこういう風にも考えてみて。
そのエリアは酷い被害だったが,多くのボランティアの活動のおかげで,徐々にボランティアが手伝いをしなければならないような作業がなくなり,あとは被災者や地元の行政の活動だけで何とか動き出すことが出来るようになった。
ボランティアは沢山いればいいというものではない。
初期段階では人海戦術なので,多くのボランティアが必要になる。
しかし,人が増えれば増えるだけ,ケガなどのリスクが増える。
だからボラセン(ボランティアセンター)はやたら人数を募集しない。
管理するボラセンにもそう多くのスタッフがいるわけではない。
それで管理できる範囲内で最大数のボランティアを募集するのだが,その数は徐々に少なくなっていく。
当然作業量も減るし,中期には専門的な知識を必要とした人が必要になってくる。
後期はほとんど業者の担当。
何を言いたいかというと,ボランティアの募集数や作業量が減るということは,ボランティアの活動の結果,そのエリアが少しづつ復興に向かって進みだしたということ。
でも継続的に,教育,福祉,生活も面でのサポートは必要になるけど。
田植えや稲刈り,雪下ろしなんて作業もあるよね。
其の二
ボランティアがお昼の休憩で歩いて移動していた。
その傍に子供たちが遊んでいた。
子供たちはボランティアが何か話しているのを聞いた。
『今日の昼飯は何かな?地元の食材だったら放射能入ってるからやだよね』
それを聞いた子供たちは大泣きして家に帰り,親に話した。
親はボラセンに駆け込んだ。
『もうボランティアは連れてこないで。私たちだけでやるから』
結局現地には自衛隊以外のボランティアは入らなくなった。
これね,どう思おうがそれはそれぞれの勝手だけど,それを口にしたり,SNSにアップしたり,帰って他の人に話したり。
それがね,事実ならいいよ。
自分で線量計持ち込んで,現地で食べた全ての食事の,一つ一つの食材の放射線量を計測して,その全てが基準値以上であったら。
計測しているのを証拠として画像や動画で納めていたら。
それを自分の身分や所属,氏名を公開して人に伝えることが出来るのなら。
でもこのパターンは全く違う。
憶測でしかものを言っていない。
厳密に検査され,体に影響がないと証明された食材だったら?
地元の子どもたちが普段口にしている食材だったとしたら?
悪いように言い換えれば,
『ここのひとは放射線まみれのものを毎日食ってんだ』
子供たちがこう思ってもおかしくないよね。
風評被害は簡単に作られるし,多くの人を傷つける。
でもそれを正すには凄い労力がいるし,我慢がいる。
ボランティアは現地にいるから,不確かな情報でも信じてしまう。
だからボランティアは,現地の情報を正しく正確に把握する必要がある。
発信するなら自分の発言に責任を持つこと。
『~だろう』,『~見たい』ではなく,
『~です。』と言うこと。
ボランティアは災害現場にはなくてはならない人たち。
でもその精神を外れるとそれはどんないい行為でもボランティアにはならない
最後にもう一度
『ボランティアとは,
自分の意志で行動し,自分の行動に責任を持ち,一切の見返りを求めない』
現地に行ってやるのではなく,
『ここに来させていただいて,やらせていただく』のです