こんなことがあった

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高校生の時、製図の授業があったが、とらずに博士課程の先輩が
高校に来てカリキュラムを作ってくれるというのでシステムとか
自動化のカリュキュラムを作ってもらった
製図の教師になぜに出ないと聞かれたので、1983年頃、
あと2年もする製図という産業は韓国台湾に流出して日本に戻ってくるときは
90年代でその時はパソコンが製図していると答えた。
そいつはものすごく激怒していたが、製図という産業はなくなるとさらに
言って、発狂させたら、実際そうなった。
その②自動車科という大学行かない就職コースは満員だったが
そのうち、石油使って電気沸かす仕組で自動車作るようになるから、
ガソリンエンジンは終わるよといったが、まさにそうなっている。
その③ モータの配置で電磁石の最強磁力を得る演習問題だったが、
冶金工学の話で電子のスピンの角度と原子の回転速度を高速でそろえた方が強くなる。
と言ったら、立石出身の定年退職後の講師だったおっさんに
お前学校やめろと言われた。
あの電磁石ができたのが1985年の9月でやめたのがその前の5月の
連休明けだった。約3か月間灰色の期間があったが
全然自責の念はその講師にはなさそうだった。
就職してから三菱銀行のATMの改修のプロジェクトに入って
c言語で動かすデータベースの話をしたらプロジェクトを追い出された。
三菱もみずほもいまだにメインフレーム使ってCobolとPL/1でやっていると
聞いた。何千億円開発費を投入してもたぶんダメ。
こうやって日本の経済や産業は爺さんたちの無理解から35周遅れている。
C言語とデータベースは、私がおじいさんの会社に入ってSPARCサーバーというのを買って、informixデータベースで構築したら2か月で基幹業務が
できて50人いた40代50代の社員がどしどしやめていった。
退職願の願をばってんして「届」と書いてしかも手で丸めて私に投げつけて
やめて行ったが、会社は「人のいない会社は儲かる会社」とばかり
かなり利益を出して、最終的には親父と妹が「お兄ちゃんやめて!」という
ようになった。
1997年まで使って、その後、windowsのクラサバシステムに乗り換えてwindows2000をやった後、リーマンショックの時にクラウドにした。


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