鹿児島のばら会コンサート 池端ミチ子先生に感謝をこめて

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音声・音楽
鹿児島のばら会コンサート
池端ミチ子先生に感謝をこめて

『君。コンサートに行かないか』
『行ってみたいです。初めてなんです』
私は小松原早雲君を誘った
小松原君は純な男なのである
素直な性格が素敵な青年僧である
令和5年4月16日日曜日
池端ミチ子先生の満90歳の誕生日
そんなお祝いの日でもあった
良く晴れた春の日
薄寒い霧島高千穂の高原から姶良市の街に向かうと、そこはやんわり汗の滲む春の陽気だ
『池端ミチ子先生に感謝をこめて』のタイトルで鹿児島のばら会コンサートが鹿児島県姶良市の姶良公民館で開催された
池端先生と弟子たちの共演だ
弟子たちと言っても鹿児島県の音楽界の指導者の人たちだ
池端ミチ子先生とは鹿児島市永吉町のご自宅でお会いした事がある。今から40年近く前の事である。池端先生の玄関口で話をした記憶がある。池端先生の家はこれでもかというような濃いお香の香りが強くて、そのことが今でも記憶に残る
何の用事で池端先生の家を伺ったのかは失念した
今から40年前の池端先生の溌溂とした物言いとお香の香りが印象に残る
時間は遠く過ぎ去ったのである
最初はバリトンの谷口征夫先生の歌唱
谷口先生の確実な歌唱力には敬服するしかなかった
白澤玲子先生の『アベェ・マリア』素敵だった
小城龍征先生のテノールは力量充分の歌唱
ピアノ伴奏の永井ちあき先生と仮屋澄江先生の確実な演奏力
鹿児島でこんなに素敵なコンサートの観客になれることは嬉しいことの一言に尽きる
小城先生の歌唱力には絶賛の、私の二列前の男性が『ブラボー・ブラボー』と拍手しながら歓喜していた
小松原早雲君も素敵な演奏会に興奮していて
『凄いですね』
『そうだろ。だから、君を連れて来たんだよ』
最後に池端先生の登場になった
才能の溢れる人は老齢になられても才能の人である
『池端先生も90歳を越えられて、これが最後のステージかも知れないな』
そんなことを考えていたら胸に迫るものがあった
音楽家は素人の我々の考えも及ばないところで努力をしているのである
コンサートの最後に、池端先生と弟子たちが全員で合唱した
とても美しい光景だった
一番最後の曲。『春』
その曲の美しさと歌詞の美しさと池端先生と弟子たちの美しさにうっとりして、私は涙が溢れてきた。私はこういうのに弱いのである。コンサートが終わると逃げるようにして会場を後にして小松原早雲君の運転する車の助手席に座った
『先生。また泣いているんですか』
『私はこういうのに弱くてね。歳なんだなあ』
観客は多かったと思う。音楽には感動があると思った
いいコンサートだった。そして、いい一日だった
私は今月の18日から東京です。東京と横浜を往来してから岩手県盛岡市に向かう。今回は青森県五所川原市にも足を延ばす。太宰治の生まれ故郷の足跡を辿りたいと思う。初めての経験である。残された時間は少ないのだ。私はきっと太宰の『津軽』を読んできっと泣くんだろう。私の青春の拙さと苦い思い出が太宰の文学と心の底流でいつも一筋の糸で繋がっている。人間というのは心の優しい人に惹かれるのである。太宰治は優しい人だ
コンサートが終わってから霧島で仕事をしていると、小松原早雲君が
『池端先生がリハーサルをした動画が有ります』
彼は池端先生を懸命にネットで検索したらしい。私はコンサートの最後の美しさを目に焼き付けて、その動画は見ないことにした。池端先生と弟子たちの光景は本当に美しかったのである。
音楽家は限りなく美しいのである
音楽の素人は音楽家の努力の事など知らない方が幸福なのかも知れない
幸福な春の一日だった
20230416 於・霧島高千穂 神宮司龍峰
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