♪寺院の住職だった義父の十三回忌、やはり一般のそれとは違うであろう、独特の時間と空間でした。
コロナ禍+またしてもの蔓防発令が視野に入るタイミング、多くの檀家各位や親族が集う中、居場所を与えていただきました。
義父の兄弟・義兄弟も大勢が鬼籍へと急いで久しく、久々にお目にかかれた方々も、軒並み八十歳台。
手術で声を失った、自力では歩けないなど、健康面の不安以上が隠せないご様子でした。
★ 福岡在住の筆者の息子夫婦からの お供えのお花が飾られていました
そんな人生の先輩各位が、筆者にプレゼントしてくれた、最高の心の贈り物。
* 自然に人が集って、笑って謳って語り合う、優しく楽しい空間。
人間嫌い(人々から煙たがられ)両親と過ごした、筆者の子ども時代。
望んでも叶うはずもないどころか、このような行為を 『悪』 と擦り込もうとした、己が両親でした。
自分たちにできないことを、我が子に覚えられては面白くない … 虚栄心の塊のような実母の判断に、実父が右へ倣えしたのでしょう。
遡ること40年近く昔の、とある親族の楽しい集いでは、サプライズで筆者の誕生日を祝っていただき、感激よりも戸惑うばかりでした。
「俺が生まれたことを喜んでくれる大人が、本当に存在していたんだ…」
自宅に仲良しの友だちを招いての誕生会など、夢のまた夢どころか異次元の話だった筆者からすれば、鳩が豆鉄砲を喰らったようでした。
今回が最後のご挨拶となるだろうな。
読経終了後の会食も、コロナ対策で、お弁当をお持ち帰りいただく形に。
優しく楽しい談笑タイムは、残念ながら実現できませんでした。
★ 筆者近影
月並みですが、やはりこの一言しか思い浮かびません。
「本当にお世話になりました & どうぞ1日でも長く、穏やかな日々をお過ごしください」
人間らしい親戚付き合いを教えてくださった方々には、ただただ感謝です。
ありがとうございました。
( -人- ) 今回は 「ごっそさん」 ではありません。
或 頁生(ある ぺじお)
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