師匠は仏様

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コラム
私がコピーライターをめざすきっかけになったのは、
「選酒宣誓」という自分で書いた人生初のキャッチコピーだった。
文化系サークルに所属していた、大学一年生の6月のこと。
某新聞社が主催する広告コンテストに協賛企業のひとつだった
酒造メーカーのオリジナル広告作品を仲間とともに制作し応募した。
それが、運よく学生部門に入選したのだった。
同じ年の冬にも学生向けの広告コンクールに個人で応募し、
またまた入選。2打数2安打!
もしかして、俺には才能があるんじゃないか(笑)。
そして、広告関係のゼミを選択し、就職活動も広告(コピーライター)一本。
最初に内定をいただいた中規模の広告制作プロダクションへ入社を決めた。
会社には、ライターが自分を含めて4人。
そのうちの一人が私の師匠であるF氏。
今では子弟とか徒弟関係などあまり聞かなくなったが、当時はまだ
上司が責任をもって若いものを育てるという古き良き時代だった。
Fさんは自分より20歳上だったので、父親でもなく兄貴でもなく、
まさに“先生”と呼べる存在。
外見も口調もやさしい感じで(俳優の小日向文世さん似)、
出身大学も同じだったせいか、すごく大事に育ててもらった。
入社一年目から百貨店のチラシ・カタログ・ポスターなどのライティングを
まかせてもらえることになったが、文章チェックはなかなか厳しかった。
自分で20~30本程度書いたコピーのうち、
そのまま採用されるのはいつも1本か2本。
そんな生活が半年ほど続き、師匠の赤ペンが入った原稿を見るたび
「俺には才能がないんじゃないか・・・」
「こんなので給料もらってていいのか・・・」と 落ち込んだ。
しかし、師匠の添削のおかげもあって(もちろん自分でも 
ライティングの勉強はすごくしましたよ!)、2年目の後半には
もうノーチェックでいいとお墨付きをいただき独り立ち。万歳!
嫌な仕事が私に回ってこないように壁になってくれたりとか
(そのせいで先輩ライターにめっちゃ文句言われた・・・笑)、
のちに印刷会社の営業担当者さんから聞いた裏話だが
「ウチの仕事を新人に担当させるのか!」と立腹のお得意先にまで
「自分が責任をもって文章チェックします」と説得に行ってくれてたりとか、
私にとってFさんは仏様のような人だった。
その会社には四年弱お世話になり、メジャーな仕事がやりたくて
転職を決めたが 、退職希望を伝えに行ったとき
「そっか・・・」というFさんの寂しそうな顔を見て 
思わず目の前で泣いてしまったことを今でもはっきり覚えている。
あのときは本当に申し訳なかったなぁ・・・。
そのFさん、いまも社長業の傍ら現役のコピーライターとしても活躍中。
ときどき一緒にお仕事させてもらうこともあり、酒の席で昔話に花が咲き
「仏みたいな人でした!」というと、「微妙な年齢の私に仏、仏って・・・。
早く亡くなってほしいのか?」と返されたり(笑)。
Fさん、そろそろ隠居してもいい年齢ですが、
これからも私にとって仏のような師匠でいてください!(まだ言う??)

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