続きです。
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なので、しあわせというのは他者から与えてもらおうとするものではなく、自分自身が自分のことをしあわせにしてあげるものだと思うのです。
そして、自分自身がしあわせだと思えればそれでいいのだと思うのです…が!
けれど、ここに気をつけるべき重大な落とし穴があります。
それは、自分がしあわせなら、他の人が(少しくらい)不幸になってもいいという気持ちが出てきたときは要注意だと思います。
卑近な例で恐縮ですが、他人のパートナーを無理やり横取りしたり、他人の功績や手柄を自分のもののように横取りしたり…。
さらには自分のしあわせのために人をだましたり…。
本人にとっては『自分の気持ちに正直に行動しただけ』で、その人にとってはしあわせなのかもしれません。
けれど、他の人の不幸の上に成り立っている幸福というものは長続きせず、それどころか最終的には幸福とは逆の方向に進んでいくことが多いと思います。
ここは、よくよく心しておくべき点ではないかと思います。
自分のしあわせが他の人の不幸ではいけない。
自分のしあわせを追求していただけなのに、結果としてそのようなことになっていることに気がついたときは、勇気を持って潔く反省し、その道から別の道へ方向を変える必要があると思います。自分自身のためにも…。
誰もがしあわせになりたいと思っているし、それぞれの人にとってしあわせの内容やカタチは違う。それは年齢によっても、地域によっても、国によっても。
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みんなが、自分のしあわせを実現していく為には良心、良識ある人間としての基準やルールが必要なのだと思います。
それはとても難しいことですが、忘れてはいけない視点ではないかなと思います。