このブログでは、私が今日まで歩んできたバレエ人生を綴っていきたいと思います。
参考になるかもしれないしならないかもしれない...
良かったらお付き合いください。
私には姉が1人いまして、彼女が2歳ぐらいの頃、自宅でつま先歩き(バレエ用語ですとルルヴェ)をしていたのを叔父が見て母に「バレエでもやらせたら?」という無責任発言から始まったのだ。
当時、今のようなスマホもなければパソコンだって自宅にはない時代、母は懸命に探し自宅から車で通える距離にあるバレエ教室に姉を入会させた。
その時には既に母は私を妊娠していたので私は胎教のようにバレエの音楽を聞いていた。
それから月日は流れ幼稚園生になった私はというと...
バレエを始めてはいなかった。
本当なら姉と同じバレエ教室で3歳から始められたのだ。
なぜ始めていないかって?
それは2人目あるある、上の姉妹(兄弟)と同じものはやりたくないやつだ。
私は絶対にバレエはやらないと母に強く言ったそうだ。我ながらなんて頑固なんだ。本当はやりたかったくせに。
母は私の性格を知ったうえで、無理やり始めさせるのは避けて、フィギュアスケートや新体操の見学へ連れに行ってくれた。
死にそうな顔をしながら見る私を見て母は「じゃあバレエやればいいのに笑」と思ったそうだ。そりゃそうだ。
その中でやや反応が良かった新体操を始め、約1年間やった。
だけどやっぱりしっくりこなかった。
母はいよいよバレエを習わせないとまずいと思い、姉に頼んで何とか私の口からバレエを始めたいと言わせたのだ。おそっ!
この時点ではざ先生小学1年夏。始めたのはお教室の発表会後。
初めて着たピンクのレオタード、スタジオの香り、みんなからの視線、母へのレべランス。
何もかもがうれしくてたまらなかった。
がしかし、すでに周りの友人はバレエ歴4年と、差は歴然だった。
それに加え私はもともと体が硬く、開脚もスピリッツも背筋もまるでできなかった。
でもそれは私の闘争心を燃やし、やってやるよと自分を鼓舞して毎回のレッスンに臨んだ。
初めての発表会は今でも覚えてる。
アナウンスで一番最後に呼ばれた名前、パドブレを反対に回ったり、癖のある踊り方で、でもただただ楽しかった。この気持ちが永遠に続けばいいのに。
その後はめきめきと上達をした裏でいろんなことを言われた。
○○ちゃん(姉)の妹さんだからね
お教室で古いもんね
なんで彼女が進級?
なんでいいポジションで踊るの?
たぶんいろいろ陰で言われただろうけど、母も私も気にしなかった。
母は特に母親たちとの関わりがあったのでいろいろ言われたろうに。
でも陰口を気にするより目の前のバレエがとにかく楽しくて仕方なかった。
私の脳内はバレエしかなかった。