想像力と創造力

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マネー・副業
様々なニュースを見聞きしていると、日本人は想像力が欠如しているのではないかと思ってしまうことが多々あります。

多発する幼児虐待や殺人、詐欺、あおり運転、企業の不祥事、政界の混乱等、多くの問題の根底には、著しい想像力の欠如が存在しているような気がしてなりません。

例えば殺人事件一つとっても、逮捕された後に自分や自分の家族がどのような状況に陥るかを想像することは、そう難しいことではないでしょう。

少なくとも10年ほどは社会に戻ることは出来ず、社会復帰したとしても厳しい人生が待っています。家族にいたっても、直接的な罪状はないにも係わらず、それまでの職や住居を替え、ひっそりと暮らしていかなければならなくなる可能性が高いでしょう。

もちろん、被害者の家族の怒りや悲しみをおもんばかることが、第一に考えなければならないことではありますが、それ以外にも、殺人を犯したその後の人生を考えた時に、いいことなど何一つないことを知るべきです。

こんなことはちょっと想像力を働かせれば簡単に分かることなのに、何故罪を犯す前に一度立ち止まって考えようとしないのでしょうか。

突発的で衝動的な事件なら、想像力を働かせる余裕もなく犯行に至ってしまう場合もあるでしょう。

しかし、計画的な犯行を行なうのであれば、一度よく想像してみる余裕くらいあるはずです。その上での犯行というのなら、それは恐ろしいほどの想像力の欠如状態ということになってしまいます。

このような犯罪例では、弁護側は必ずと言っていいほど精神鑑定を要求します。しかし、それが果たして被告のためになるのでしょうか。

重要なのは、被告に事件の現実を認識させることです。そして、想像力を呼び覚まさせ、被告が犯したことの結末と、被告本人やその家族、被害者やその家族の将来を想像させることでしょう。
十分な将来認識を持たせることが、被告の更正に際してもっとも重要なことなのではないでしょうか。

被告の刑罰を軽減させることだけが、弁護士の仕事ではないはずです。ましてや、被告が現行犯逮捕される等、罪状が明らかであるにも係わらず、無罪を主張するなど問題外です。
もちろん、被告の犯行に疑わしい点がある場合は、徹底して無罪を主張し争うことは必要です。

しかし基本的には、被告の心情を代弁し、一刻も早い社会復帰を促すべく訴えることこそ、弁護士に課せられた使命なのではないでしょうか。

想像力とはかように大切なものです。想像とは未来を考えることであり、未来のあらゆる選択肢を吟味し、現在に集約させるものなのです。
現在に集約された想像が具現化したものが創造となります。創造力とは想像力を持ってして初めて実現する力なのです。

学校教育の問題点が指摘されて久しいですが、最大の問題は子供が想像する機会が失われていっていることだと思います。
はたして今の子供は想像しているのでしょうか?漫画でもアニメでもゲームでも構いません。その過程や結果を想像しているのでしょうか?

想像力はやがて創造力につながります。想像力に満ち溢れた子供が育まれ、そしてやがて日本社会に創造力が満ち溢れることを願うばかりです。

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