【意識的に歩む習慣】

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日常的スピリチュアル、安田です。

意識的に歩むというのは
苦しくなることもありますが
流されない歩みをするには
意識力が必要なのです。
私たちの日常の環境は
流されやすいのです。
その環境に支配されていたのでは
努力はできないのです。
環境からの影響が大きいので
環境を変えられるのであれば
環境を変えてもいいのですが
環境を変えられないのであれば
今の環境の中で工夫をしながら
歩んでいくしかないのです。
実際は、環境の影響が
どうであるかはどうでもいいのです。
環境を変えることが
できたとしても
同じような環境を
つくってしまうこともあるし
影響という刺激が
無くなることで
安心してしまい
かえって基準が
下がることもあります。
環境を変えることが
できなかったとしても
意識は変えることができます。
どんな環境でも
意識を変えることができれば
影響を最小限にすることができ
流されない歩みが
できるようになります。
完全完璧の歩みはできないにしても
流される歩みをしない意識が必要なのです。
流される歩みというのは
一日一日を積み重ねることが
できないので
未来に向かって
歩めなくなるのです。
未来に向かって歩めないと
希望や可能性を感じることが
できなくなってしまうのです。
全ての瞬間というのは
最初で最後であり
二度と戻ってきません。
日常の歩みが
流されるというのは
深刻な問題なのですが
深刻さを感じている人は
少ないのです。
永遠の観点から見たら
この世の生の期間は
一瞬にもならないのですが
その一瞬にもならない期間が
流されてしまっているので
深刻なのです。
その深刻さは
自分で感じるしかないのですが
多くの人は
いつまでも生きれると
錯覚しています。
時代の恩恵によって
長生きができるようになりましたが
どんなに長生きが
できたとしても
永遠にこの世で
生きることは
絶対にできません。
今までの歩みは
今さらどうすることも
できないので
今から、今日から
どのように歩むかなのです。
今の瞬間が
最も若いので
今からどう歩むかなのです。
若い気でいることは
必要なのですが
いつまでも
若いと思っていては
いけないのです。
意識を変えることができれば
意識した通りの歩みが
できるようになります。
流されている人というのは
無意識の境地で流されています。
その無意識の境地の基準が
高ければ良いのですが
大抵の人の
無意識の境地は低いので
低い基準で流されてしまうのです。
高い基準の意識をするには
高い基準の学びが必要なのです。
高い基準の学びだけでも
続けていけば
意識だけでも高くなります。
意識を変える
転換するには
学びが必要なのです。
学びというのは
できていないこと
できそうもないことを
学んでいくことで
効果的な学びが
できるのです。
できていないこと
できそうもないことを
学ぶというのは
非常に苦しいし
違和感を感じるのですが
苦しくなり
違和感を感じることで
意識を変えることができ
転換することができるのです。
意識的に歩むことが
できるようになれば
着実に積み上げる歩みができ
未来に希望と
可能性を感じながら
歩み続けることが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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