【自己責任教育】

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学び


日常的スピリチュアル、安田です。

「自己責任教育」というと
より自己責任が重く感じますが
自己責任を全うするには
教育が必要なのです。
教育されないで
自己責任だけが
与えられているので
重荷に感じてしまうのです。
自己責任を全うするための教育は
自分から求めていかないと
教育されることはありません。
自分から主体的に
学んでいかなければ
教育を受けることは
できないのです。
自己責任が
重荷に感じるのは
教育されていないのと
学ぼうとしないからなのです。
責任を全うするには
実力が必要なので
実力を身につける努力が
必要なのです。
使命を全うするためにも
実力が必要なのです。
実力は元々持っている能力と
プラスの努力によって
身につけることができます。
人それぞれで
個性が違い
才能、能力が違うので
自分の才能
能力に見合った
努力が必要なのです。
どんなに優秀に見える人でも
できることよりも
できないことの方が多いし
逆に、劣っているように
見える人でも
全く何もできない
ということはありません。
全ての人に
自己責任があるので
自己責任を全うできる力は
備わっているということです。
自己責任を曖昧にしたり
ぼやかしてしまうと
他の人には使命があって
自分には使命が無いと
勝手に都合よく
解釈してしまい
自分の責任から
逃げてしまうのです。
他の人の使命、自己責任は
どうでもいいのです。
どうすることもできないので
どうでもいいのです。
この世での自己責任は
この世でしか全うできません。
霊的世界に行ってからも
自己責任はありますが
この世とは違う次元の
自己責任なのです。
この世での歩みは
限られた期間なのです。
その限られた期間に
自己責任を全うすることが
願われているのです。
全ての時間に
気を張ることは
できませんが
集中できるときに集中し
投入できるときに投入することで
自己責任を
全うしやすくなります。
私たちの心も身体も
一定を保っていくことが
できないのです。
調子が良いときもあれば
調子が悪いときもあります。
習慣にすることで
無意識の境地で
続けることができますが
より集中できることもあれば
集中できなくなることもあります。
心も身体も
バイオリズムがあるので
一定を保てないのです。
習慣の力によって
毎日、同じことを
続けていくのと
集中できるとき
投入できるときは
より集中し
より投入して
自分で自分に
刺激を与えることも
必要なのです。
自己責任だけとなると
重荷に感じてしまうので
臨機応変さと
ゲーム感覚も
必要なのです。
自己責任を全うすることで
成長することができ
成長欲求を満たすことができるのです。
自己責任を
全うしようとする
努力をしていくことで
成長欲求を満たすことができます。
自己責任教育は
自分で自分を
教育することであり
自己責任を悟るための
教育でもあるのです。
現実的には
大したことは
できないのですが
今の環境、状況の中で
最善を尽くせる歩みができれば
自己責任を全うすることが
できるようになります。
自分の責任を
全うすることだけで
精一杯なので
他の人、周りの人が
どうであるかは
どうでもいいのです。
自己責任を全うするために
集中し、投入できれば
周りの環境の影響を受けずに
歩むことができます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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