【努力とは楽しめること】

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学び

日常的スピリチュアル、安田です。
努力というのは
最も楽しめることなのです。
なぜなら、好奇心からの
成長欲求が満たせるからです。
努力をしている人を
やたらと褒め称えたり
尊敬する人がいますが
単に欲求を満たしている人を
褒め称えていて
尊敬しているだけなのです。
努力は誰にでも
できることなのです。
学ぶこと
実行することは
どんな環境であっても
できることなのです。
今の時代の環境は
言い訳ができません。
いくらでも学べる環境が
整っているので
言い訳ができないのです。
それでも
言い訳をしてくる人が
多いのですが
単に努力をしたくない
だけなのです。
これからの時代は
主体的に歩む
能動力が必要なのです。
受け身で待っていても
誰も何も与えてくれません。
努力することが
苦痛に感じる人は
受け身でいるので
「やらされている感」が強いのです。
自分から主体的に
能動的に歩んでいる人は
努力することに
苦痛は感じないのです。
かといって
常に快感を感じることだけを
やっているのではありません。
やる気が出ないときもあるし
調子が悪いときもあるので
心理的な峠を越えるような
境地になることもあります。
それでも
心理的な峠を越えることで
快感を感じることができるので
努力を続けることができるのです。
今の時代で
何となく満たされないのは
努力ができていないからです。
努力ができていないので
成長欲求が満たされないのです。
時代の恩恵によって
環境が変わることで
求めることも変わるのです。
人が求めることは
不足を感じることなのですが
今の時代では
生活環境は恵まれているので
これ以上のことは
求めることはできません。
外的な環境の満たしには
限界があるのです。
現代人はその限界を
無意識に悟っているので
常に何かが満たされていないことを
感じているのです。
人の内的な欲求には
上限がないのです。
なので、内的な欲求は
上限なく満たし続ける
ことができるのです。
これからの時代は
他の人が、どう努力をするかは
どうでもいいことなのです。
努力をしている人を
無駄に尊敬する必要はないし
興味関心を持つ必要はありません。
どのような努力をしているのかを
学ぶことは必要ですが
学んだことを
実行しなければ意味がないのです。
私たちは誰かに認められるために
努力をするのではないのです。
成長欲求を満たすほどの
努力をしていくことで
結果として認められるようになるのです。
最初から認められる
承認されることを
目的にしてしまうと
成長欲求を満たす歩みが
できなくなります。
自分の成長欲求だけを
考えているようになると
何となく自己中のような
印象がありますが
自分の状態を良くすることは
自己中ではありません。
自分の状態が良ければ
自然に良い影響を与えることが
できるようになるのです。
その良い影響を拡大させていくことで
より大きなことに貢献することが
できるようになります。
私たちの努力は
必ず全体目的に
連結されていきます。
そして
全体目的に連結されていくことで
成長欲求を満たすことができ
貢献欲求を満たすことができるようになります。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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