【自己責任しか全うできない】

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学び

日常的スピリチュアル、安田です。


自己責任を悟ることで
自己責任を全うできるのですが

自己責任を悟るというのは
代わりにはできない
代わることはできない
という悟りなのです。

自己責任を重荷に
感じている人がいますが
自己責任とは自分の努力を
していくということであり

当たり前のことを
当たり前にすることなのです。

なので、重荷でも
何でもないのですが
重荷に感じるように
仕向けられたのです。

自己責任というのは
今の時代になって
始まったことではなく

いつの時代にも
自己責任があったのであり
これからの未来にも
自己責任は残ります。

自己責任は宇宙の法則であり
原理原則であるので
永遠に残るのです。

どんな時代になっても
自己責任があるというのは
努力が必要だということです。

時代が進むことで
より高度なことが求められてくるので
高度なことに合わせる基準の努力が
求められてきます。

今の時代になって
自己責任が明確になったのですが
過去の時代は奴隷制度
管理制度が主流であったので

自己責任を
明確にしてこなかったのです。

なぜなら、奴隷扱い
しやすくするためであり
管理しやすくするために
自己責任を曖昧にしてきたのです。

自己責任の曖昧さによって
従順に従うことができる
人ばかりが増えてしまったのです。

言われたことしかできない
指示されたことしかできないという
ロボットのような人ばかりが増えて
努力するという発想ができなくなりました。

「努力をする」ということが
あまりにも大変なことであり
自己責任に対して
重荷を感じてしまったのです。

奴隷、管理制度から
解放されることで
自由な時代になったのですが

自由な時代には
自己責任が問われてきます。

自由に決めることができるので
自己責任が求められるのは
当然のことなのですが

自己責任が問われることに
耐えられなくなっているのです。

奴隷、管理制度の体質が
残っているので
自由に歩めることに
耐えられなくなっています。

誰でも漠然とながらでも
自由を求めているのですが
自由というのが分かるようで
分からないのです。

現実の環境というのは
時間、空間の制限があるので
完全な自由というのは
得られないのですが

心理的な自由を
感じることができるのです。

心理的な自由というのは
自分で決めた通りの歩みが
できることをいいます。

自己責任の全うというのは
決めた通りの歩みによって
全うすることができるのです。

今まで常に決められてきたので
決めることができなくなっているので
自己責任が重荷に感じるのです。

「自由に決めていい」というのは
誰もが願ってきたことなのですが
その願ってきたことに
重荷を感じているのです。

努力というのは意図的に
意識的に決めなければ
何もできないのです。

何をどう努力するのかを
明確にしなければ
努力することはできません。

自由な時代になることで
自分で決めることが
できるようになるのですが

何も決めなければ
何もできなくなるのです。

努力というのは
誰かに頼まれてすることではなく
自分で勝手に決めて
勝手にすることが努力なのです。

自己責任しか
全うできないことを
悟ることによって

どう努力するのかを
決めることができ
心理的な自由を感じながらの
歩みができるようになります。


今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌


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