【絶望という訓練の機会】

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日常的スピリチュアル、安田です。

絶望は誰でも避けたいことなのですが
訓練として与えられることがあります。
訓練というのは
成長のために与えられるのですが
その訓練のハードルは
高く見えてしまうのです。
高く見えてしまうので
自分には無理だと
感じるのですが
与えられる訓練は
必要なことであり
越えることができることなのです。
使命が大きい人には
その使命を全うできるような
訓練の機会が与えられます。
ある意味、否応なしに
強制的に与えられることもあるので
納得がいかないこともありますが
与えられた使命を
悟ることによって
覚悟を決めることができます。
希望だけを感じて
歩みたいのですが
希望の前には
絶望を感じるようになります。
その絶望の先に
希望を感じることが
できるようになるのですが
絶望と希望というのは
正比例するのです。
大きな絶望を感じることで
大きな希望を感じることが
できるようになります。
何となく、絶望ばかりで
希望が感じられない
場合がありますが
希望的なことに
気づけないこともあります。
感じる境地というのは
「こうだからこう」という
理屈ではないので
与えられていても
感じることができない
場合があります。
あるいは、転換されていないと
恩恵を感じることが
できない場合があるのです。
希望的なことは
なかなか感じられなくても
絶望的なことは
感じやすいのです。
絶望を絶望として
捉えてしまうと
苦しくなるのですが
訓練として解釈して、捉えていくことで
成長のために与えられていることを
悟ることができます。
私たちに絶望という機会が必要なのは
古い自我を壊すために必要なのです。
絶望を感じることで
古い自我を壊すことができ
古い自我を壊すことで
新しい自我が芽生えてきます。
時代の変化、環境の変化によって
古い自我では対応できなくなるので
必然的に自我を壊すように
導かれていくのです。
ただ、ほとんどの人は
自我崩壊に耐えられないのです。
絶望を反射的に避けようとし
感じないように必死になってしまうのです。
自我を壊すというのは
生みの苦しみを
感じることであり
生みの苦しみの先に
新しい自我が芽生えてきます。
この原則は変わらないのですが
絶望に耐えられる力は
自分で身につけることができます。
絶望、自我崩壊の時期が来る前に
免疫を身につけておくことで
絶望に耐えることができ
自我崩壊の生みの苦しみに
耐えることができます。
あらかじめ負荷をかける
歩みができている人は
耐えていく免疫ができているので
心理的な余裕があります。
訓練というのは
いつ与えられるのかが
分からないのです。
ある日突然のように
一気に落とされることがあるので
いつ訓練の機会が
与えられてもいいように
予め負荷をかける歩みを
していくということです。
順調な時期
安心安定が得られている時期は
そのままの状態を維持したくなりますが
維持できなくなります。
順調な時期、安心安定が
得られている時期にこそ
負荷をかける歩みをして
免疫を身につけていくべきなのです。
時代の変化というのは
誰も避けることはできません。
否応なしに
変化に合わせていくしかないし
変化に合わせていくために
一気に落とされることがあります。
絶望という訓練が与えられることで
古い自我を壊すことができ
新しい時代に合わせられるように
導かれていきます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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