【混沌さの中での希望と可能性】

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日常的スピリチュアル、安田です。

破壊、創造時代は
必然的に混沌として
混沌さを感じるのです。
混沌さを感じることで
希望どころか
絶望を感じるのですが
絶望を感じることで
古い自我を壊すことができるのです。
今の時代の破壊というのは
外的な環境の破壊ではなく
内的な価値観、考え方
感じている境地が
破壊されていくのです。
なので、感じたくない感情を
感じるようになっているのです。
内的な破壊というのは
逃れようがないので
よりきついのですが
葛藤しながら
忍耐していくことで
絶望から希望が
感じられるようになります。
希望だけを感じて
絶望は感じたくないのですが
絶望と希望は正比例するのです。
絶望が大きい人は
希望も大きいのです。
絶望と希望を数字で表すとしたら
100の絶望を感じている人は
100の希望を感じることが
できるということです。
大して絶望を感じない人は
大して希望も感じないということです。
感じたくない感情は
居心地が悪いので
避けたくなるのですが
感じたくない感情によって
自我を壊すことができるのです。
内的な破壊には
葛藤と絶望が必要なのです。
葛藤と絶望を感じているのであれば
希望が感じられる方向に
進んでいるということです。
あるいは
内的な破壊が成されているので
創造される方向に進んでいます。
希望も絶望も
いつまでも維持することは
できないのです。
必ずバイオリズムがあるので
上がったら下がるようになり
下がったら上がるようになります。
どんなに絶望を感じても
絶望さを維持することはできないので
希望を感じるようになるのです。
現状維持というのは
良くも悪くも
し続けることが
できないのです。
今の混沌時代も
維持することができなくなり
希望を感じるしかない
時代になっていきます。
希望も絶望も、感じる体験を
しているようなことなのです。
どちらの体験も
内的な資産になり
活かすことが
できるようになるのです。
私たちには
無駄な体験は
できないのです。
否応なしに与えられる体験であっても
自業自得のような体験であっても
必要な体験をしているということです。
なので、どんな体験でも
希望と可能性にすることが
できるということです。
希望と可能性というのは
自分次元の視野では
本質からズレてしまうのです。
本質の観点からの
希望と可能性があるので
本質に合わせる意識が
必要なのです。
自分次元の視野というのは
非常に狭いのです。
全ての体験は
より大きな目的に
連結されているので
本質からの視野が
必要なのです。
混沌時代の中では
耐えるしかない
環境でもあるのですが
漠然とした未来でも
希望と可能性があれば
忍耐し続けることができるのです。
混沌さを感じている中で
希望と可能性を与えられる人が
求められてくるのです。
どうにもできないことは
忍耐していくしかないのですが
未来に希望と可能性があれば
忍耐することが快感になるのです。
今の混沌時代は、早かれ遅かれ
維持することができなくなり
希望と感じられる時代に
転換されていくのです。
時代という大きな転換だけではなく
一人一人も転換されるようになり
希望と可能性を感じるしかない心理に
転換されていきます。
どんなことを感じても
感じている境地を
維持することはできないので
混沌さの中から
希望と可能性を感じることが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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