【見えない境地は感じられる】

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学び


日常的スピリチュアル、安田です。

見えない境地は
感じることで
把握することができるのです。
見えないので
目で見ようがないので
感じられるようになっているのです。
ただ、感じる境地は
言語化ができないと
認識できません。
漠然と感じていても
どのように感じているのかを
論理的に説明できないと
認識ができないのです。
感じている境地を
言語化、論理的にするためには
言葉を身につけることが必要なのです。
言葉を身につけるには
学びの積み重ねが必要なのです。
私たちが感じている境地は
膨大なのです。
無意識の境地は
意識の境地よりも
何万倍も把握しているのですが
その把握している境地を
言語化しきれないのが
現実なのです。
瞑想の習慣によって
感じている境地の
把握ができるようになりますが
把握したことを
認識するには
言葉が必要なのです。
なので、学びと瞑想の両方で
感じている境地の把握と認識が
できるようになります。
スピリチュアルというのは
見えない境地を把握して
認識することをいいます。
霊的に見える
聞こえるには
霊眼が開かれることが
必要なのですが
霊眼が開かれていなくても
霊的世界の把握はできるのです。
霊的に見えるか、見えないか
聞こえるか、聞こえないかというのは
大した問題ではないのです。
霊的に鈍感でも
霊的な把握ができ
認識ができれば
見えない境地を
感じることができ
霊的世界と共に
歩むことができるのです。
霊的に振り回されるのであれば
霊的に鈍感なくらいが丁度いいのです。
スピリチュアルを求めている人は
霊的に敏感になることを
求めてしまうのですが
霊的に敏感になったからといって
有利になることはありません。
むしろ、霊的に振り回されやすくなり
霊的にぼやかされてしまうこともあるので
霊的に鈍感なくらいでもいいのです。
先天的にでも、後天的にでも
霊眼が開かれている人がいますが
特別な使命が与えられているのです。
その使命を悟れないと
霊眼が開かれていることが
仇になってしまうのです。
私たちに必要なのは
霊能力ではなく
霊力なのです。
霊的に鈍感でも
霊力を身につけることで
霊的に振り回されないで
歩むことができるのです。
この世の私たちは
霊的に振り回されてはいけないのです。
なぜなら
霊的に振り回されてしまうと
使命を全うすることが
できなくなってしまうからです。
見えない境地の
把握が必要なのは
霊的に振り回されない
霊力を身につけ
強化させるために
必要なのです。
霊能力を持っている人は
自分の心霊基準の程度にしか
霊的世界のことが分かりません。
霊能力があるからといって
心霊基準が高いとは
限らないのです。
自分が把握していることが
全てだと思っている霊能者は
危険なのです。
霊的世界は膨大な世界なので
高い心霊基準でも
全てを把握することはできないのです。
部分的な把握しかできないことを
悟っていない霊能者は
霊的に振り回してしまうのです。
今は自分で悟った通りに
歩む時代なので
自分が感じている境地を
基準にしていけばいいのです。
霊能力を持っている人の教えを
参考にしてもいいのですが
鵜呑みにしてはいけないのです。
自分がどう感じているのかを
基準にして歩むことで
霊的に振り回されないで
歩むことができます。
見えない境地を感じることで
霊力を強化させることができ
自分の軸を基準にして
歩むことができるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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