経歴

経歴

  • 医療専門学校 2014年4月 2016年3月

    医療系の専門学校に2年間通っていた。 そこでは、医療事務の勉強をしていました。 資格を取ったり、2年目は病院実習に行ったりした。 後は、勉強以外にも1年目は自然教室に行ったり、年に一回、体育祭もありました。 私は、1年目すぐに友達に声かけられたりはしましたが、すぐに途中から声を掛けてきた友達からは素気なくされて私はまた一人ぼっちに…。 理由は分かりませんが( ; ; ) 声を掛けてくれた友達は、私にとっては少し苦手なタイプではありました…。 私とは真逆で気が強く、テキパキとした感じの人でした…。 私は、昔からそうですが…。 自分とは真逆の苦手なタイプの人から何故か声がかかり、寄ってきてしまいます^_^ 〜勉強に関して〜 資格の勉強はそこまで嫌ではなく、無事合格出来ましたが^_^ あっ、でもMOSのパソコンの資格は一つ落ちてしてしまいました。 パソコンの調子が悪かったのが理由です( ; ; ) 〜仕事に関して〜 2年目になると、面接の練習や病院実習などが始まります。 そこからは、もう地獄でした( ; ; ) 毎日、面接の練習で頭がパンクしたり (要件を分かりやすく簡単にまとめて言うのが苦手だったから)でした。 そして、病院実習では、指示をされたことを真面目にちゃんとやっていましたが、実習終わってからの評価は「協調性がない」の一言…( ; ; ) 私は、真面目に言われたことをこなしていただけなのに!! その頃は何がダメだったのかホントに分からなかった!!( ; ; ) このままじゃ、どこに面接行っても落とされると思っていましたが…。 奇跡が起きた(°▽°) 就職指導担当の先生から 「ここの薬局事務受けてみないか」と言われてからでした。 そこは、たまたま私の父親とそこの薬局のオーナーさんが知り合いだったのです。 オーナーさんが私の父親のお客様関係でした。 それを知った、オーナーさんの息子さんにあたる社長さんが、あまり面接もせずに、私を採用して下さいました(°▽°) 次から、もうパート社員として働いて良いと言われて良かったのですが…(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

  • 調剤薬局事務 2015年10月 2016年2月

    4ヶ月でクビになり、その時に障害者手帳を会社から勧められた。 仕事内容は受付、パソコン入力、ピッキング作業、患者応対、電話応対と色々とした。私の苦手なマルチタスクで毎日覆われ、患者200人を超える小さな薬局で働いていた。 ○受付○ 患者さんの処方箋を受け取り、初めての患者さんや久しぶりに来られた患者さんには、ジェネリック医薬品の説明と、ジェネリックにするかどうかを聞く。 私は、順序立てて分かりやすく人に説明するのがホントに苦手でした。 私の説明はいつも分かりにくく、患者さんにも説明が分かりにくいって言われ、同僚に迷惑をかけてしまっていた。 ○パソコン入力○ 処方箋の入力作業。 患者さんが多くない時は割りかし出来ていた方でした。 でも、ミスをすると金額が変わってしまうので、患者さんが多い時は先輩に代わってもらい、私は受付に立つ事が多かった。 薬によっては、入力の仕方がややこしい物もあった。 粉薬や塗り薬で容器に入れるものなどは入力の仕方が変わる。 そして、新規の患者さんが来た時は全部のデータを入力しないといけないので、その時は時間が掛かるし大変でした。 ○ピッキング作業○ ここの薬局では、処方箋の内容を暗記してからのピッキングでした。 ピッキング中に処方箋を持っていく事が出来なかった。 なぜなら、パソコン入力とピッキング作業を同士並行にやっていたので…。 私も、丸暗記だけなら出来ますが、そこに〜錠や、〜包とかの数字を計算した所まで覚えないといけなく、これもかなりのマルチタスクでした。 私は暗算がとても苦手だったのでピッキングもかなり時間が掛かった。 患者さんが多い時は計算間違いをよくしていたので、「使い物にならない」と薬剤師さんから怒られる毎日だった…。 ○電話応対○ 患者さんや薬の業者さんからの電話を受けていた。 私は、昔から人の話を聞きながら要点だけをメモ取るのが苦手でした。 患者さんからの電話の時、名前、何時に来るか、薬についてのお問い合わせなどをメモしなくてはいけません。 薬について聞かれた時は、いつも先輩や薬剤師さんが代わってくれましたが…。 それ以外の事は私が対応した。 そして、聞き取った内容を職員に分かりやすく伝えるのがとても苦手で、内容がまとまってないと、これまた怒られる日々でした…。

  • 就労移行支援事業所 2016年4月 2017年5月

    ここでは、主に精神障害を抱えた人達が一般の会社で無理なく働ける様になるための職業訓練所。 訓練所でしていた事は、一般企業で役立ちそうな仕事の練習をしたり、実際に一般企業へ実習に行って、商品の陳列作業、お客様応対、服のハンギング作業などをしていた。 実習が終わった後は、みんなで仕事の振り返りをし、どこが良くて、どこが悪かったのかをみんなで話し合いをしていました☆ でも、ここの訓練所は仕事の訓練以外にもみんなと遊びに行くこともよくあった(´∀`) 料理を食べに行ったり、ジムに行ったり、山登りをしたり^_^ 冬になれば、クリスマスはお菓子を作ったり、お正月には神社参りに行ったりと^_^ 仕事訓練以外にもこんな感じでみんなと和気あいあいと遊ぶ事もあり凄く楽しかったです♫ 発達障害を持っていると、休むのが苦手な方達もいると思いますが、そういう方達にとっては、程よく肩の力が抜ける場所でもあると私は思いました^_−☆ ただ、就労移行支援所はどちらかと言うと就職を目的としている所が多いと思うので、自分で働きたいという発達障害者の方にはデメリットがあるかもしれません。 でも何もやりたいことがなく、自分でこうして行きたいとかがないのでしたら、安定的に仕事が出来る様に、就労移行支援所に何年か通うのはおススメです^_^ ここからは、私個人の話になります…。 私はここの訓練所に通って、無印の障害者雇用が決まりました^_^ 無印には、3年間勤めることが出来たのですが…。 3年目に来た店長とは馬が合わなくなり、仕事を辞めたくなった。 その店長が来てからは、いつも周りの従業員達も表情が暗くなったり、昔は怒らなかった副店長が怒る様になったりもあり(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`) その環境に居るのがとても辛くなった…。 そんな困難で、そういう事を支援員さんに相談したら…。 「今、ここで辞めるのはもったいない」 「もっと、頑張りなさい、我慢しなさい」 「これから辞めてどうするのか?」 など、私の話している事に否定をされ、あまり話を聞いてくれませんでした!! そういう支援員さん達に当たると本当に最悪です( ; ; ) 訓練所を決める際は、どんな支援員さんが働いているのか見極めが大切です!

  • 無印良品(障害者雇用) / パート1 2017年5月 2020年2月

    障害者雇用で3年間働いた。 今まで勤めていた所の中ではここが1番長く勤められた。 1年目と2年目は女性の店長で分からない所などの質問がしやすく、凄く明るい店長でしたが…。 3年目の店長は男性の店長。 かなり気難しい方だったので、その店長とは毎日、馬が合わないことが多かった。 そして、その店長になってからは、いつも一緒に働いている同僚や副店長の雰囲気までもが変わってしまっていた。 その店長が出勤している時は、みんな、きつい顔になって暗くなったりして、その空気に耐えるのが毎日辛かった。 そして、私は私で、何か仕事をしている最中に「何で、こんな事する必要がある?」とか「要領が悪い、こうしてって言った‼︎」とか、自分のしている事に対して、いつもダメ出しされるばかりで…。 指示の仕方がいつもキツく、怒っているような感じがして辛かった。 3年目の店長になってからは、周りも暗くなるし、副店長も毎日イライラしてしょっ中怒ってしまう様な人になってしまっていた…。それまでは、優しく指示してくれる人でした( ; ; ) この様な環境に耐えられなくなり、せっかく続いた店員の仕事も3年間で辞めるようになった。 〜私が担当した仕事内容〜 ○朝の開店チェック○ 売場の電気をつける。音楽をかける。フィッティングルームやレジ周りの掃除。 ○賞味期限チェック○ 朝一の仕事。在庫を数えながら、日にちが近い物は半値と撤去をした。賞味期限の2週間前の物は半値に。1週間前の物は撤去する。2人で協力しながらの作業。私が担当した日はいつも抜け落ちがなかったみたいだったので、この仕事はかなり合っていたのかも?速さを求められず、正確性だけを求められる作業でした^ ^ ○化粧品売場のメンテナンス○ こちらも毎日していた。お客様が毎日、テスターを使っているので、粉塗れになったり、ベタベタだったりするので、そこを綺麗に掃除。後はテスターがなくなったら、補充もした。 ○お客様応対○ 賞味期限チェックをしている時やメンテナンス中にお客様に商品を尋ねられる事が毎日あった。尋ねられた時は今している作業を中断。お客様が欲しい商品まで案内したり、商品について聞かれたら、答えられる物は説明したりした。

  • 無印良品(障害者雇用) / パート2 2017年5月 2020年2月

    ○試食○ 試食に関しては、3年目になってからの経験でした。 カレーやお菓子、ドリンクなどを出していました^ ^ 昼休みを終えてからの仕事。 私はいつも、試食用の台を出して、エプロンと帽子を被り、カゴにはお菓子やカレーを並べました☆ バウムクーヘンが試食の時は時々切ったりもしていたので大変だった(>人<;) カレーが試食の日は他の人が試食用の分を出してくれていたので、バタバタすることはなく(°▽°) 試食中は売場の入り口に立っていて、お客様に 「いらっしゃいませ」 「今日は〇〇しています、いかがですか?」 と言いながら、食べさせていた^ ^ その時に食べ物の事を聞かれたら、答えたり、たまにお客様からの雑談話を聞いたりも( ;∀;)大変だった 笑笑 でも、客層が凄く良かったので助かりました(*´꒳`*) そして、他の商品の質問をされたり、場所を聞かれた時は、そこからは離れられないので、インカムを使い、他の人に助けてもらっていた^ ^ その点は凄く助かっていました。 お客様対応はほとんどしなくて良いのが試食でした^ ^ だが、たまに雑談話をされる事があったのでその時は必死で少し大変でしたが(°▽°)

  • ダンススクール 2017年5月 2020年4月

    私がダンスを習い出したきっかけは 就労移行支援に通っていた頃の話でした。 たまたま、そこの支援員さんが ダンス経験がある方がいました^ ^ 就労移行支援は仕事の訓練を するだけではなく ジムに行ったり、イベント毎をしたりなどして遊んだりもしょっちゅう 笑笑 みんなで、ジムに行く時は その支援員さんも着いてきてくれて そこで少しだけ振り付けを教えて くれていました♪ それが、とても楽しくて 遊び感覚でダンスをしていた時に その支援員さんから 「精神障害のある人でも習える スタジオが最近出来たみたいよ」って 言われたのがきっかけです^ ^ 紹介されて、そこのスタジオに 見学に行きました。 その時に 「やっぱりカッコいいな!!」 「楽しかったから入会しよっ♪」 「踊っている人の服装も憧れる♡」 という思いから ダンス習うことを決意! 入ってからは 気の合う仲間が出来て 良かったと思いました^ ^ ただ、チーム練習だと 自分のペースで練習出来ないのと 思うようにダンスが上手くならないのが 辛くて辞めてしまい…。 基礎よりも、振り付けがやっぱり メインの練習なので その辺が私には合わなかったなと 思いました>_< ただ、私なりに憧れるダンスがあったし もっと上手くなりたいという思いから…。 ダンススクール3年間通った後は オンラインで有名なダンサーさんに 基礎やステップなど習うように なりました☆ その頃はコロナ禍でオンライン化が ちょうど進んでいた頃だったので かなり自由に有名な先生から習うことが 出来ました^ ^ 中々、自分にとって合う先生 分かりやすく教えてくれる先生を 見つけるのは難しかったですが(^^;; でも、今現在も習っている先生は 昔から凄く憧れていた先生で バトルの優勝経験が豊富で 世界的有名なダンサーさん(°▽°) その方に今はオンラインで 体の使い方やリズム ステップの仕方などを 少人数で教えてもらっています♡ その先生になってからは 他人から 「動き方が変わったね」 「上手くなってきたね」 と言われるように>_< まだまだ、全然…。 これからも習う٩( ᐛ )و

受賞歴・執筆歴・講演歴

  • 受賞

    Twitterで本場のStarbucksにフォロバされた♡ 2014年3月

  • 受賞

    TwitterでJustin Bieberにフォロバされた♡ 2016年5月

  • 受賞

    TwitterでJustinの友達にRTされバズった 2016年5月