経歴

経歴

  • 新社会人~結婚~出産~青天の霹靂 / 一般事務/フラワーデザイナー/花の販売 1988年4月 1997年7月

    (新社会人~転職~離婚への第一歩*パワハラと浮気発覚*) 短大を卒業後、メガバンク関連企業に一般事務で就職。 同期は皆仲が良かったものの、先輩&上司は今考えればパワハラ体質の人が多かったなと。 特に当時50代後半の男性は粗探し→怒鳴るは日常茶飯事。 ストレスでいつも口の中に複数個の口内炎を作りながら仕事をしていた思い出。 この時の同期と一つ上の先輩と一つ下の後輩たちとは今でも仲が良く、コロナ前は年に一度は集まってました。 気分転換にと習い始めた生け花とフラワーアレンジメントにハマり、お花を仕事にしたいと退社。転職した先で、当時走りだったコンビニのフラワーギフトの企画を任され成功させました。 しかし! 労働条件が入社試験の時示されたものとあまりに違っていて体調を崩し、一緒に入った子と「このままだと命が危ない」と退社。その子とも未だに仲良しで、この頃の昔話をしては懐かしんでます(;´∀`)。 (当時はもう本当に息も絶え絶えだったけれど、その場から離れて時間が経てば「笑い飛ばせること」になります!) その後はその一緒に会社を辞めた子と、その子のお友達とでお花の会社を立ち上げたり、生け花の先生が都内百貨店に開店するフラワーショップの店長に抜擢され、弟子である私もお手伝いをすることになったり(二足の草鞋を履いてました!)。 その間に学生時代の仲間と、知り合って10年の時を経て結婚。直ぐに妊娠が発覚して、お花の仕事を一時お休みすることになりました(花店勤務は重労働なので)。 専業主婦となり、長男を出産。 乳飲み子を必死に育て(なにせ初めてのことなので無我夢中(;´∀`))、仕事の再開も含めてどうしようかな…と漠然と考えていたある日… 出張に行っている元夫が置いていった仕事用のバッグの中から写真が覗いていて…何気なくみてみたら、知らない女の人のあらぬ姿や元夫とのツーショット写真がごっそり出てきました。 まさに青天の霹靂…

  • 青天の霹靂~離婚成立~派遣社員として働く / 大学就職課窓口/花の販売/一般事務 1997年7月 2000年8月

    (離婚成立への道) 出張に行っているはずの元夫のカバンから知らない女性の写真が芋づる式に何十枚も出てきて…浮気なんて1ミクロンも疑ってなかった私はもうパニック。 何とか元夫に電話が繋がり話始めようとした瞬間、事を察した元夫は逆切れ、電話口で罵詈雑言を吐きまくり… 結局はダブル不倫をしていて、相手の女の人は浮気ではなく本気だと。 「お前も子供もいらないから、離婚だな」 と言われました。 その後お互いの両親立ち合いの元話し合いをした席で元夫の母親から 「ウチの子が浮気したのはあなたが至らなかったからでしょ?そこの土下座して謝って!」 と言われ… 子どものために、離婚だけは避けなければと思った私は、私の両親の前で、元夫、元舅、元姑に向かって土下座をしました。 その私の頭の上で、元夫は 「こいつなら何したって生きてけますよ。けどあいつ(浮気相手)は俺がいないと生きていけないんで」 と。 こんなこと言われても… 知り合って10年、仲の良い仲間から恋人同士になって、結婚して…そんな月日をかけて育ててしまった「好き」はなかなかに消すのは難しく…。 しかしもう一緒には生活できないという結論に達し、私は子供を連れて実家に帰ることに。 知り合いの弁護士さんについてもらって離婚への道を歩むことになりました。 しかし、離婚したいと言っていた方が、弁護士さんの働きかけにのらりくらりでなかなか話が進まない。 元夫をひとりの人間として見始めると、時間が経つにつれて、あんなに好きで他の女性に取られたことが悲しくて苦しかったはずなのに 「元夫、人としていかがなものか…。子供のためにもこんな状態良くないし早く離婚をしてリスタートを切らなくては」 と思うようになっていきました。 そしてその2年後、離婚が成立しました(長かった…)。 離婚直後は家の近所でアルバイトをみっつ掛け持ちしていました。 ★大学の事務職員 ★花屋の販売スタッフ ★スーパーの事務 心身ともに少し落ち着いてきたころにいくつかの派遣会社に登録し、その中で紹介していただいた 会社で事務職として働くことになりました。

  • 派遣社員~正社員へ / 営業事務/ショップ店員 2000年8月 2002年5月

    (だめんずは百害あって一利なし) 子どもは両親がみてくれるということになり、貯金が底をついていた私は派遣先で懸命に働きました。 同時期に派遣社員として入ったメンバーとすぐに仲良くなり、社員の方々にも良くしていただいて、 いろいろと悩みは尽きない中でも、心折れることなく過ごしていました。 その時のメンバーは私の10コ年上さんと10コ年下さんでした。 今でも仲良くしていて、私の大切なお友達です。 しかしそんな時に限ってつまづくんですよね…。 インターネットで知った、離婚経験者だけでつくるコミュニティの中で知り合った男性がいました。 最初は優しかったその人とお付き合いすることになり…結果「精神的DV」を受け、精神的に追い詰められていきました。 友達の説得もあって別れることを決意。 しかしそのことを伝えると口汚い言葉で脅されました。 子どもと両親への攻撃や、今で言う「リベンジポルノ」も示唆され…警察に相談をしました。 警察といういわば「プロ」の方の助言を受けながら、恐怖に怯えながらの日々がしばらく続きました。 幸い何事もありませんでしたが、この時のことは今思い出してもゾっとします。 そんな折、派遣会社から人員削減の依頼がきていて、三人の内ひとりだけ辞めてもらわなくては いけなくなったと伝えられました。 三人で話し合ってと言われ、どうしようとなった時に、10コ年上の人から 「〇〇ちゃん(私)が辞めて」 と言われました。 「これから子供をひとり育てていくのに、こうやって不安定な派遣社員じゃダメ。  ここで辞めて、正社員になった方がいい。あなたなら絶対に良い会社と縁があるから」 と。 そう背中を押してもらい、必死で就職活動をして何十社と落ちたのち、とある会社に正社員として採用されました。 ここが私の持つ力を発揮し、また、ココナラに出品する礎を作ってくれた職場となります。

  • 天職16年~退職 / ショップ店員/バイヤー 2002年5月 2018年8月

    (天職と二重パワハラ) 都内のブティックにて接客のお仕事に就き、16年間で延べ約30,000人の方々とお話をしました。 お客様だけでなく、役員の方々や社員の皆様との関係も良好で、どんなに難しい人柄と言われている人でも、私にだけは心を許してくれることがあり、驚かれることも少なくありませんでした。 それはお客様にも言えることで、他のスタッフが苦手としている方でも私はなんなくお相手ができました。 そうしているうちに来客数が増えていき、それに伴い売り上げも上がり、お客様のことをよく把握しているという理由でバイヤーも任されるようになりました。 そのショップもその場になくてはならないような一部「サロン」的な場所となり、たくさんの方の心に寄り添うようになっていました。 しかし、社長が交代することとなり、同族会社なので身内が社長に就任することになりました。 歳の若い社長は、そのブティックの場所で自分の趣味のものを売る店を作ると言い出し…あっという間に私の勤務していたショップはなくなることが決定してしまいました。 若い男性の趣味のものを売る店には私は似つかわしくなく、社内の全く違う職種の部署に配属されることになりました。 この会社とご縁があったからこそ私は息子を育てあげることができたと思っていたので、少しでもお役に立ちたいと、新しい仕事に必死に立ち向かっていました。 しかし…ある日同僚が「パワハラされてるの、気が付いてる?」と言ってきました。確かに仕事の内容はとても難しく、教えてもらっても分からないことばかり…。けどそれは能力のない自分のせいだと思っていました。 それをその同僚に伝えたら 「今あなたがやっていることは、この仕事をしてすぐに理解できるわけのないこと。それをわざとあの人と社長はあなたに科している」 と…。 そこでふと、思い当たる節だらけの毎日だったことに気が付きました。 今までそんな人間と接してこなかったので気が付かなかったんです…。 そう言われて初めて、自分の心が壊れてしまっていたのに気が付きました。 気が付いてしまったら、もうそこにはいられない。 「逃げなくちゃ」 そう思いました。 悩まなかった訳ではありませんが…自分の身は自分が守らなければ。 そう思い…退職を決意しました。

  • 再就職活動~現在 / テレアポ/通販事業/サロン受付/経理事務 2018年8月 2022年5月

    (「自分らしく」) 長く勤めていた会社を二重パワハラで辞めた私は心療内科を受診し、「自律神経失調症」と診断されました。(後から聞いた話では、若い社長は自分色の会社を作るため、前社長が目をかけていた社員全員にパワハラを仕掛けて辞めていくように仕向けていたそうです) しかし元来は明るい私。そう診断されたら逆に「ならあの社長が悔しがるくらいキラキラな日々送ってやる!」と息巻いて、再就職活動に精を出し始めました。 そして直ぐに正社員として採用され働き始めますが… 今度は同僚が酷いパワハラにあっていて、それを毎日耳に目にしてしまう日々でした。 それがどうにも辛くなり、体調を崩してしまい一年でその会社を辞めました。 その後販売の仕事などに就きながら就活をし、今は事務職に落ち着いてもう4年が経ちます。 毎日代り映えのしない日々で、それはそれで穏やかと言えば穏やかですが、何か物足りない。 紆余曲折、山あり谷あり、分厚い壁が立ちはだかり、どこまで続くか分からない茨の道を歩く日々だったあの頃。正直、どれだけ泣いたか分からない、そんな過去が私にはあります。 そんなこともあったなぁ…だけで終わらせて良いのか。 そんな風に考え始めました。 私がしたい一番のことは、皆様の心の声を伺いたい事。 そして皆様のお気持ちが少しでも柔らかく、軽くなっていただけたらこんなに嬉しいことはありません。 前述したように、私は心理系などの国家資格は一切持っておりません。 (民間の資格の、カラーセラピストとポジティブ心理学は持っています) なので専門的な導きや、根本的な解決などはできない…かもです。 ただただ、話すことが好きなおばちゃんです( ̄▽ ̄;)。 けど、だからこそ、どうぞお気軽に話しかけていただけたらと思います。 皆様が「楽しかった!」と思えるお時間を共有することができたら、とてもとても嬉しいです!