経歴

経歴

  • 生まれてから保育園まで / 幼児 2002年7月 2007年7月

    体が生まれつき硬かったため、先天性斜頸(せんてんせいしゃけい)の状態で生まれる。 元気で大きめサイズで生まれたこと、一番目の子だったこともあり、 そのことには気づかれず、大きくなるまでこのままだった。 (あまりに大きめなので、腱鞘炎を考慮し、バランスボールの上で抱っこして跳ねることで機嫌をとられる) 性格はこの頃人見知り。身長はあったので四歳で小学3年生と間違われる。 観察ばかりする子で、何かをジーッと見ていたり、一人でぼーっと考え事をすることが多かった。 走るのは身長がある分早かったが、その成長に追いつけないのか、よく転ぶ。 その頃大人に近づくだけで、絆創膏が出てくるくらいよく転けていた。 保育園ではこの頃から性別Qの影響が出ており、男の子とばかり遊び、 トイレが男女で分けられている意味がわからない状態。 女の子とも仲はよかったが、お人形遊びやおままごとが苦手でうまく馴染めなかった。 当時は大人っぽい女の人が憧れだからかなと思うも、しっくりこず、 なあなあにしながら小学校に上がる。

  • 小学校から中学入学まで / 小学生 2008年4月 2013年4月

    保育園の人見知り状態のまま、小学校に入学。 話しかけることが苦手で、その分図書室の本を読み漁る。 入れ込み用は本を入れるバッグが、重さで壊れるほどの量を借り込むほど。 (それも1週間かからず読み込む) この頃、気づいていないところでギフテッドの部分が顔を出していた。 テストは常に満点。 読んで楽しいと感じるのは古事記や平家物語の原文 有名人の自伝など。 何かを調べて発表すれば、周りの子が理解できない内容を持ってくるなど浮いた存在だった。 教育に熱心な家庭なため、真面目に勉強、宿題色々こなすも、 知らず知らずにストレスが溜まっていたようで3年生の時に爆発。 当時の友人にめっちゃ怖いやつって言われるほど余裕がなかった。 何に対しても怒りを向けることでしか対応できない状態。 クラスが学級崩壊していたこともあり、先生が交代したりと頼れる大人もいなかった。 いじめや互いの蹴落とし合いは日常茶飯事。 警察沙汰になった子もいるほどだった。 卒業間近になり、私立の中間一貫校に受験。 母とピリつきながら、勉強し、なんとか合格することが叶う。

  • 先天性斜頸の手術 / 小学2年生 2009年7月 2009年7月

    首の筋肉を生まれる過程で痛めることにより、片方の筋肉が短くなる病気。 赤ちゃんの時に90%の子どもが自然に治るもので、 そこで治らない場合は2〜3歳くらいで最近は手術することが多い。 私の場合は気づいてもらったのが遅かったのと治る様子がなかったため入院して手術した。 (美容院に行くようになって、首の傾きを直されたりすることで気がついた) 首の筋肉を長い方の筋肉に合わせるように切って、首をまっすぐにするというもの。 2年生の時に1週間、学校を休んで入院して手術になった。 入院自体は2回目で1回目はノロウイルスか何かだったような… 自分は手術がどんなものなのか分かった上で怖がっていなかったので、 麻酔の匂いをバニラにしてもらうように話し合ったり、一日中ゲームをしたりと、 気ままに過ごした。 術後も首用のコルセットみたいなものをつけて、気ままに過ごすもあまりに動かなすぎて 運動を促される。 この時の病室のテレビがあまり映るものがなくて、ドリフの再放送をひたすら見ていた。 最終的に、無事退院し、首も正常な位置になるも、いまだに斜めと真っ直ぐはわからず苦笑

  • 中学時代入学から卒業まで / 中高一貫校にて 2013年4月 2016年3月

    小学校の時よりも楽しい生活を夢みて、私立の中高一貫校に受験し入学。 この辺から勉強に対する意欲は真面目な性格だからやるけど、正直面白くないからしたくないへ。 部活はバスケ部に入ったりもしたが怖い先輩と厳しい練習、女性特有のグループ構造に疲れて半年も続かなかった。その後は中学の卒業まで科学部(実は帰宅部代わりの部活)ですごす。 この頃から18歳ぐらいまで恋愛下手で周りに迷惑をかけたりしていた。あの時の人たちごめんなさい苦笑 中学2年生になった頃 友達でいつも一緒にいる子が私を入れて女の子で4人いた。3人は吹奏楽部で最初は楽しそうにしていたものの、徐々に様子がおかしいくなる。 1人、また1人と不登校になり、担任の先生からも目をかけるように言われていた私はほとんど毎週電話をその子たちにかけて励ましてた。 でも、段々と当時の私には荷が重く、不登校になってしまった。 母親は大反対で大喧嘩したけどそれでももう学校と言う場所がなぜだか怖くて仕方なかった。 その後短期留学をして、3年生には少しずつ学校に来れるように。 3年生になってからは生徒会に推薦してもらって学校生活を楽しんだ。 イベントの実施の手伝いや、科学部で好きに遊んで学校内でラジコンをしたり、凧揚げしたり、割と自由にしてた。 そうして、ここでも担任がやめたりゴタゴタはあったけど何とか卒業まですることが出来た。

  • 高校入学から卒業まで 2016年4月 2020年3月

    高校にエスカレーター方式で何とか入学。 ここでも、生徒会の方に推薦という形で今回は体育委員に(でも、体育はあまり好きでは、、、汗) とにかく、真面目に受験勉強と並行して、生徒会の仕事をこなしていったけど、10時就寝4時起き生活は長くは続かず過労でバタンキュー。 それを1年生の間に2回繰り返してしまったな。 2回目は ・母の首の手術 ・家の家事全般 ・勉強 ・生徒会の仕事 が重なってしまったのが原因。 マイコプラズマみたいな咳をしてても動かないと終わらない仕事量だった。 自分自身が助けてを言わないといけなかったのがいけないのかもしれない。 周りに頼っていたらまた違っていたのかもしれない。でも、それでもその時の自分はまだそこまで余裕は回すことが出来なかった。 失敗は成長の種になると思うきっかけでもあった。 と、今なら思う。 その後、学校内がパワハラやセクハラとか色々学級崩壊してたため転学。 通信制の高校に移った。 ここで驚いたのは、通信制と聞いてヤンキーをイメージするかもしれないが、そこには「普通」に馴染めなかった少しだけ個性の塊感が滲み出してる人ばかりだったこと。 派手髪の子ばかりではなく、普通の子と同じ様な子が多くて少し居心地が良いと感じたのが最初の体験で行った感想だった。 しかも、通信制と言ってはいるけれど、私は結果的には普通の学校に行ったことになっている。 なんでかって言うと、サポート校の存在があるからだ。(難しい話はこの辺にして笑) さて、1年生の1月からそこに通い始めてたくさんの経験をした。 ・フィリピンへの短期留学 ・北海道への修学旅行 ・初めての恋人、、照 ・大学受験 たっくさん嫌なことも楽しいこともあったけれど、 学んだこととして、とても心に残っているのは1つ。 人生は1回っきりで、どんなやり方でもとにかく楽しめれば十分なこと。 たくさん笑って、泣いて、怒って、苦しんで、でも、それでもよかったと思えるのなら大丈夫。 どうにかなる。 そういうことを沢山学んだ学校でした。

  • 大学入学から3回生まで 2020年4月 2023年4月

    改修中、、、 (数字がおかしい所があったらおっちょこちょいなので、間違えてるかもです汗)

受賞歴・執筆歴・講演歴

  • 受賞

    大学の就職関連の授業にて成績1位を獲得 2021年7月

  • 受賞

    劇のアレンジ型シナリオを作り、衣装、着付け諸々で好評を得る 2016年3月

  • 受賞

    100人以上が参加する留学型英語学習にて2%のみの皆勤賞取得 2020年1月

  • 受賞

    書道での最優秀賞、観峰賞を4年間獲得 2015年8月

  • 執筆

    不登校中の空き時間を使って小説を書き始める 2017年7月

  • 執筆

    ココナラ内でのブログ活動を始める 2021年8月

  • 受賞

    動物の絵のコンクールで銀賞受賞 2016年8月

  • 受賞

    インターン先の社長にアピールし、1年近くそこで営業を経験! 2021年10月

  • 執筆

    仕事を通じて紹介頂いた方にインタビューし、現在思案中。 2022年12月

  • 受賞

    大学の成績をGPA3.2を記録 2021年7月

  • 講演

    お仕事として、自分の仕事、将来どうしたいのかを他大の方に話す 2022年11月

  • 講演

    サークル内にて私ではなく講演の運営の方を実施(本大学では初) 2022年12月

  • 講演

    元勤めていた会社にて、講演を運営の方で成功させる。 2022年10月