⭐子供がいたって、離婚してたって
夢をみていいんだよ⭐
夫と結婚生活が破綻していた私は、
病気の姑のお世話、離婚準備、留学の下調べを
平行してやっていました。
そして離婚後、子供を連れて中国へ渡りました。
「留学」という夢を叶えるために。。
◆
幼い子供を置いてはいけないので
必然的に、子連れ留学となりました。
活発な子だったので
誰にも心配されませんでしたが
いちおう下見に行きました。
ところが
当時、日中関係は微妙で
中国はデモの真っただ中でした!
タクシーに乗ったら
「ここに、日本人がいるぞ!」
と運転手が外に向かって大声で叫び
車の中で、
にほ子供と抱き合っていたのを思い出します。
マイナス要素しか
見いだせなかった下見でしたが
「大丈夫、大丈夫」
と自分に言い聞かせて
なんとか留学にこぎつけました。
◆
出発の日。
子供は
ぬいぐるみに話しかけていました。
「らいねん なったら かえってくるから」
…涙が出そうでした。
だって、1年で帰ってくるかどうかも
分からない。
何が待ち受けているか分からない。
将来、どこで住むかも分からない。
私の心は、不安でいっぱいでした。
◆
留学はとても充実していて
楽しかったです。
勉強できることが喜びでした。
離婚して夫やその家族から解放され
自由を味わっていました。
最初の数か月は
たったひとりで
子供を守っていかなくてはいけない
プレッシャーに呑み込まれそうでした。
留学、恋愛、仕事(現地採用)。
海外でのすべての経験が
新鮮であり、冒険でもありました。
幼い子供と一緒でしたが
夜になると、孤独を感じていました。
◆
私は、ずっと子供と「ふたりぼっち」でした。
海外に住んでも、その土地の人間になれず
帰国後も、日本人になり切れず。
私たちは良くお互いを
「日本不適合者」「社会不適合者」と
呼んでいました。
どこにも属せない…
ハンパもの…
そんな意味合い。
滞在している国は、異なるかもしれませんが
共感できる部分は、たくさんあると思います。
日本で日常生活を送っている家族や友人とは
温度差があり
なかなか気持ちを分かってもらえないことが
私は、歯がゆかったです。
海外で仕事をしたこともあります。
聞かせていただきます^^
*ボイスサンプルをご準備しました
ポートフォリオの最後から確認いただけます
*最初に、呼んでほしいお名前を教えてください。
ニックネームでもOKです。
*時間制限(30分など)や何時までの通話、というご希望があれば、
最初ににお伝えください
*基本、標準語でお話いたしますが、関西弁が出ることもあります
また、関西弁ご希望の場合はお伝えください
*敬語がいい、友達のように話してほしい、など
口調に対するご希望があれば、教えてください
*「合わないな」と思ったら、遠慮せずにお声がけください
*ココナラアプリを使用してお掛けします
音声が途切れることがございます
通話が切断した場合は、トークルームにて、
こちらからのお掛け直しをご希望されるかどうか、を伺います
*カラーセラピストの資格はありますが、カウンセラーではありません
専門的アドバイスをご希望の方は、専門家の方をお探しください
*過激な発言、暴力的、差別的、アダルト目的の対応はできかねます
そのような場合は、ただちに通話を終了、報告させて頂きます