辛いことがあった時、人はすがりたい気持ちになります。
指導者である私自身が自殺未遂を繰り返し最後は仏教に救われたように。
昔は、青年の深刻な悩みに寄り添うのは、地域のお坊さんの役目でした。
それが今の日本の仏教界には望めません。
坊さんたちは、私利私欲に走り、
「悩める青年たちが道を踏み外す前に手を差し伸べる人」は、
もう誰もいなくなってしまったのです。
日本のお坊さんはもっと行動すべきと思います。
戦争に対してもそうです。
ウクライナ戦争が長期化して、政府が軍事費を増額していると聞くと、
日本が戦争に向かっている気がしてなりません。
日本は、唯一の被爆国です。
それなのに今だに核反対の姿勢を明確にしない状態が漫然と続いています。
仏教が一番大事にしていることは「不殺生戒」(ふせっしょういましめ)です。
「平和を守り殺生すべからず」なのです。
仏教徒である以上戦争には絶対反対でインドで地下核実験を行った際にも抗議デモを行いました。
今の日本の仏教界を観ているとまた戦争が起こっても戦争反対と唱えることはないと感じています。今の日本には「亡国の相」が出ています。
その理由を考えると日本人一人一人の精神が小さくなっているからだと思うのです。
日本人がインドの寺にきて悩みを打ち明けるのですが、
40代の中年男性が多いのですが、
みんな揃って「生きる道が見つからない」「将来が不安」と言います。
「あなたは何がしたいんで?」と聞くと「わかりません」と首を振ります。
「宗教は何?」と聞くと「家は仏教徒だが宗派は、祖父母と話していないから知らない」と答える。中には「日本を捨てて海外に移住したい」という人もいます。
「日本は国力がないから将来が不安」とか「給料が安いからもっとお金が欲しい」とか
そんな理由ばかりです。
故に、日本人の精神が小さくなっていると考えざる負えなくなっているのが現実です。
ここからは私個人の実感ですが、
「身を粉にして働きなさい!」という言葉がありますが、
これ坊さんへの言葉のはずです。
それが何と逆に一般人に向かって坊さんが言うようになっています。
説教するのではなく手助けとなるできることをするのが坊さんの本来の役割のはずです。
これ本末転倒だと思われませんか?
坊さんの代わりに坊さんの役割というものを私なりに果たしたく出品した次第です。