動きの激しい現代社会において、心が取り残されている、
そう思われませんか。
そういう置き去りにされた心の在り方から、
処々の問題が眼前に起こっているのかもしれない、と思われていませんか。
そのような寂寥感、
なにかが違うのではないかという不安感や
このままでは取り残されるのではないかという焦燥感のある方の話を聴きます。
話を聴くよ、と友人や家族、身近な人が言ってくれても、
打ち明けてみれば、結局、自分の経験上からのアドバイスという名の押し付けをされた、
という残念な経験をされたことのある方は多いでしょう。
また、聴いてくれるその姿勢が、実は批判的であったり、
うなづいてくれるのに、声の響きに違和感があると感じられた方も多いでしょう。
「傾聴」
ただ、耳を傾けて聴く
簡単なように見えますが、実は、聴く側の「聴く能力」、すなわち、「共感能力、受容能力から生まれる姿勢・表情・声色」、そして「相手と自分を信じる力」を非常に必要とします。聴いているうちに、人生の荒波を一緒に船で漕ぎ出して、汗まみれになることもあります。何も意見をせずに、ただ、傍にいる、そういう人が世の中にいる、ただそれだけで、一歩前に進める勇気が生まれてくるかもしれません。
そして、最終的に決断の場面が来る時があれば、ご自分の中にある声をご本人が聴き取れるお手伝いをさせていただきます。
◎法に触れるような内容のお話や、こちらをかく乱する目的のお話は、受け止めかねる場合もございます。事前にご相談内容を、お教えください。
◎「傾聴」では、うなづくくらいしか言葉を発することがありません。(筋道を整理するために、聴き直すことはあるかもしれません。)そのため、ご相談者の「なんとかしたい」「ただ聞いてもらいたい」というお気持ちに委ねる比重が多くなります。ただ、人が何かを解決するには、自分で決断し、自分の意志で起き上がり、前進していくしかありません。そのため、「適当にアドバイスがほしい」「その場限りの問題解決をしたい」という方は、ご遠慮ください。
◎生きるということは、問題を解決していくことではなく、自分で「問題を見つけていくこと」にあるかもしれません。その感覚が全くつかめない方は、ご遠慮いただく方がよいかもしれません。
◎解決策が思いがけずわかっても、もしくはうすうすわかっていたとしても、とてもできそうにない、と思われる場合には、全面的に協力し、また必要に応じてアドバイスをいたします。どうぞご了承ください。