「あいつは、いいよな」と、思うことはないですか?
恥ずかしながら、ぼくは、あります。
小さい頃は、ルックスで、からかわられて、
バカにされた経験から、「受け入れてもらえないんだ」
「チヤホヤもされないんだ」
「あいつは、いいよな」
超えられない身分差のようなものを感じました。
はたから見れば、大したことがないのかもしれません。
でも、自分からすれば、「圧倒的な不可能感」
キレイなあの人は、イケメンなあの人は、
「なにも羨ましいことはないんだろうな」
「なにも悩みはないんだろうな」
どう考えても、自分にはそうとしか思えない。
いろんな角度から考えても、「自分には足りないもの」しか、出てこないんです。
相手より優れている根拠が見つからない。
そんな『歪んだ世界観』を、むりやり心のなかに、
押し込めて生きていました。
実際は、そんな事ないに決まっているのですが…
当時のぼくには、頭でわかっても、心では理解したくありませんでした。
今でこそ、気付いたことですが、
当時は「優劣という尺度」に、どっぷり浸からせられていたんです。
「おい長谷部!」強面の小学校の先生に怒鳴られるたびに、
ビクッと体が震え、溢れ出す劣等感。
脅迫的な先生でした。
頑張って良いクラスに行っても、
そこのクラスでの、最底辺。
チャレンジしても、チャレンジしても、ビリになる。
底なし沼のような感覚でした。
「ビリだったら、堂々と出来ない」
いつしか、そんな思いで、いっぱいになっていました。
大学時代になるまで、その思いは抑圧していました。
転機は、大学の映像制作のゼミ。
締め切りギリギリで、みんなで意見をぶつけ合う中で、
自分の感情、弱さを、みんなが互いに吐き出したんです。
「小さい頃の劣等感」は、なんと、メンバー全員が抱えていたんです。
喧嘩腰だったメンバーの理由も、理解できました。
堂々と出来ない学生の理由も、わかりました。
いつも否定する人の気持ちも、感じることが出来ました。
その言い合いの後、ふと、楽になっている自分に気づいたんです。
一時的ではあったんですが、間違いなく「楽」になって、
「安心感」を感じていたんです。
そこで、今度は、ぼくが、「あいつはいいよな」と思っているあなたの
心の内を、一緒に、明るみにさせるお手伝いをさせてください。
大学のゼミで、ぼくが、他のゼミ生とお互いに出来たように、
むしろ、知らない赤の他人だから、
その感情を吐き出す練習台にもなると思います。
幼稚園の頃から、マンションの2つ隣の部屋の、同学年の子が、
プラレールの高いおもちゃを買ってもらってて、
「なんで、買ってくれないの...」と、ぼくは泣いていたことを、思い出しました。
「いけない子だから?」「何かがダメだから?」
その頃からすでに、
無意識に、そんなことを思っていたのかもしれません。
何歳になっても、その悲しい気持ちは、残っているんだと思いました。
あなたが心の奥に抑圧している、その気持ちを、すこしぼくにシェアしてください。
ひとりで見るのは不安でも、2人でなら一緒に見ていけます。
こんなことが出来る機会がある、ココナラさんは間違いなく貴重な環境です。
ぜひ、あなたの心が良い方向へ向かう方へ、ぼくの力も頼ってください。
その気持ちを生産的な方向へ変えるきっかけづくりです。
一気に溶かさなくても、少し楽になるだけで、かなり、違いを感じられると思います。
ご自身のペースで、ぜひお電話してみてください。お待ちしています。