「自分のことがきらいなんです」ってきみへ

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「これってどうなのさくまどちゃん」企画

質問;32歳既婚女性子供二人 とげさん(仮)
さくまどちゃんこんにちは。
さくまどちゃんはオタクということでちょっと聞いて欲しいことがあり
書き込みしてみました。

私は、自分のことが嫌いです。
最近急性胃腸炎になり、苦しかったのでそのまま痩せるんじゃないかな
と淡い期待を持つも、
そんなに簡単なものではないと医療従事者の親から指摘も受けるほど
痩せられません。


ずーっと本を読んでいたいだけで、
ツイッターしかしていませんが、
そこで二次創作での推しなどをチェックしまくりますが
それも
見るだけがよく、ハートを押したりもしません。

自分の投稿も、子供のネタを少し書くぐらいです。
なので、
インスタや、クラブハウスなどの発信もしません。

子供の頃から
周りから
「そんなに漫画や本を読むならアウトプットしないともったいなくない?」
と言われていますが、

アウトプットはしません。
ただ読んでいたいだけなのです。

本当は大学院まで行きたかったのですが、部活の最後の試合と被り部長だったために
就職を決めましたが、
それは、まあ、好きな有名コンテンツの販売会社で、
過酷だったのはわかっていたため、
長く続けることはできないと最初から思っていましたし、

通常だとニートなオタクになりそうだった私が
今、就職もした後、結婚して子供が2人もいることに奇跡を感じます。

今は、専業主婦として、
ニート同等の環境を手に入れ、読書に集中できるとおもったのですが、
一人目の手が離れ、やっと本が読めると思った矢先、
二人目が外遊びと声かけてくることが多く、
昼間は本を読む暇などはありません。
そんな贅沢な不満を
会社から頑張って帰ってきた旦那に言うこともできませんし、
「夜に読めばいいじゃん」と言われるのもおっしゃる通りなので
わざわざ愚痴ることもできません。
ただ
子供をほおって置いたりしてしまう自分の罪悪感もキツイです。

ちなみに、気づいたことがあります。

私は周りから見たら「携帯中毒」に見えるかもしれませんし、
携帯中毒で子供をほおって置いている時があるように見えますが、

最近、「携帯中毒チェック」をしてみたら、
それほどチェックはありませんでした。
ただの
「本中毒」であり、本を読んでいたい時に、
携帯というデバイスを使って読んでいるだけだったということに気づき、
「ハッ」とした次第です。

昼間、ちょっと読んでしまうと、
周りの声が聞こえなくなり、軽くネグレクトになってしまいそうだった自分や、
話しかけてくる子供に「うるさい!」と言ってしまいそうで自己嫌悪だし、

人間関係の輪の中にいるのが苦手なのに、
子供と公園などに行くと、
喋るのが好きなために、知らないうちに、
人の輪の中心に引っ張り込まれていることが多く、
あとで「喋りすぎた、絡みすぎた」と
自己嫌悪に落ち込みます。

世の中を俯瞰してみていたいのに
輪の中に入ってしまうと客観性がなくなってしまうのが辛いです。

「要は自分のことが嫌いなのです」

嫌いだから
自分が外から見ていたいと思ってしまうんです。


最近、クラブハウスなどで
みんなが一人一人、「私はこんなことやってる人です」って自己紹介していたりしますが

私はオーディエンスでいたいだけだし、
心底、
「何者でもない自分で良い」と思っていますが

インスタや、クラブハウスでは
何者かを語る人には、嘘をついているように見えてそうな気がします。

長くなりましたが、
私は自己肯定感が低いのでしょうか?

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シェアありがとうございます。

これは私のことですか?
という質問です。

なんだかとってもわかる話です。・・

オタクで無くとも
主婦で無くとも
なんだか共感する人って多いような気がするのは気のせいでしょうか?

本が好きで、旦那さんに養ってもらっている環境を手にされた
質問者さんがちょっと羨ましいです。

ただ、それでも、
自分の違和感をここまで言語化されていて、
「こういう場合には、わかっていても反射的にこうなってしまう」
といった素直な吐き出しをするって、本当に
大事ですね、
客観的に見ている中で、あえて言葉に出して言ってしまうことで
核に近づくかもしれない、ってことは多いと思います。

そう言うことが言える安心安全な場って必要ですよね、
そこからまた頑張れたりするものですし。

また、気になったのは
俯瞰から、外からみんなを見てたいということ=「自分のことが嫌い」だから

という話を聞いていると気、

ピンときた言葉があります、


集中していたいのに
集中できない自分が嫌い

ということなのでは無いかと。

人は、集中している時の自分が「好き」なのです。

集中してない時、

自己評価が低くなる。

要は、

自己評価が低いのは
「自分」、人では無くて

「状態」


だとしたらどうでしょうか?

今、
就学前の子達の子育て中で、
自分の時間をうまくコントロールできずにいる。

という認知の上に、

集中できる固まった時間を作るのはかなり厳しいけど、
ちゃんとその時間を取る環境を毎日の中のどこかでしっかり作ら無いと
自分の世界が荒れてしまう、
自分の豊かさ、快のために
必要不可欠なんだ。
それが「私」なんだ。

と覚悟を決めると、

ちょっと楽になりませんか?

それを常としたら、
「ワガママ」で嫌われるどころか

周りが合わせてくれるぐらい、時間調整や環境作りが上手くなる。

そう思いました。。。

周りに思いやりもあり、
自分が空気読めなくて苦しんでいるからこそ、

逆に、自分の状態のチェックをしていくってことで、
自分にエネルギーが注がれ、
元気になってくると思います。

この覚悟を

「最近集中できる固まった時間作ってないな、そろそろやばいかもな」
と思い出すと、
現実的な、
外側とかなぜか、人間関係の中にどっぷり入ってしまい自分の貴重な、
漫画を読む時間を失うような時間を費やしてしまっていることは
無くなりそうです。。


とにかく、
自分を嫌い って言われると
周りは辛いですね、、

自分を嫌いというより、
自分を嫌いな状態なだけで、

人は浮き沈みのリズムがある中で生きている。

その中で、マインドフルネスでは無いけど、
なんでもいいのですが
集中して無になる時間というのは、

ものすごく楽しい境地だってことに気づいたら楽しいですよね。

集中できるものなんて何でも良いのでは無いかな、
って腹落ちするはずです。

私も、この集中して無になる瞬間が
忘れられなくて、

逆にその中毒だと認識していますし

自己評価低いトークをしている時は、
集中できなくて辛い場。。。

ということを認識し、
今、やりたいことにしっかりと
向き合おうと思っています。








後日談ですが、
この質問をしたら、

そういえば、
「確かに
自分が一番自分のことが好きだった頃って、
その高校の部活に集中していた時です!!」

とのことでした。

言語化と認知のズレがあると辛いかと思います。
腑に落ちたら
フラットになれますね。

自分だけの「これ」が大事なわけで、

別に私も「〇〇アドバイザー」とか
名乗ったりとかできる何かがあるわけでも無い。

何者でも無い自分で、
むしろそうありたいと思っています。

人にはわかりにくいですけどね。。。

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