「思い込み」から自分を解き放つ―生活レベルはなかなか下げられないー

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経済的に生活が破綻した人たちの多くが口にしがちな言葉・・
「生活レベルを下げられなかった」
収入が減ってもそれに伴って生活費を下げることができなかった、と言いたいわけです。
そして「生活レベルはそうそうは落とせないよ」と続きます。

一見もっともらしく思える言い草です。
多くの人たちが同じように感じていて、メディアなんかでもこの類の情報を大量に流しています。
果たして、本当に生活レベルを下げるのはそんなに難しいことなのでしょうか?
単なる刷り込まれた思い込みに過ぎないのかもしれません。
ひとりひとりの消費量や消費額が下がったら、困る者達が多くいて、そのことを阻む方策のひとつとしての「情報操作」かも・・・
これ以上はやめときます・・質の悪い陰謀論に毒されている、と誤解されるのはイヤですからね。
でも、一定水準以上の生活レベル、つまり消費額を借金をしてでも維持しようとしてくれる人たちが多くなれば、どの会社も助かるのは事実ですよね。

私は生活レベルなんて「その気になりさえすれば」簡単に下げることができると思います。
生活レベルというものをどのように定義するか、という問題も絡んできますが、生活費の額を下げても、知恵と工夫次第で生活の質は維持できます。
あるいは知恵と工夫に加えて、マインド・セットを変えることで生活の質が却って高まることもよくあることです。

誤解をしないでください。
私は・・贅沢は敵だ!節約しろ、倹約しろ、と言いたいわけではありません。
変にケチっては生活の質は下がる、心が貧しくなる、といったことにもなりかねません。
多少の「無駄」も時には必要です。
ただ、支出の中で(特に固定費的なもので)あなたの「見栄」によって必要以上の支払いを続けているものがあれば是非とも見直してほしいと思います。
この「見栄」とは人からよく見られるためのものだけではなく、人と同じでなければ不安とか恥ずかしいといった類のものも含まれます。

例えば大きな固定費として住居費があります。
持ち家にするか賃貸にするか、家賃やローンの額は下げられるか、間取りは適切か、都心から離れてみるか等々、色々と検討する余地はあります。
自動車や生命保険なども、それが本当に必要なものなのか、必要としたら余分に支払っていないかを検討できます。
固定費的なもの以外も同じです。

大切なことは、生活費の見直しを楽しみながら行うことです。
多少の余裕やゆとりを残しておくことも大切です。
そしてこの見直しによって、先にはいいことが沢山起こると思うことです。
生活に必要とする額が下がれば、無理して働き続ける必要がなくなります。
本当に好きな仕事を選べることになるかもしれません。
勤務時間を減らし、休みを多くできる可能性が高まります。

以前なら、平成の終わり頃までは、生活レベルを落とすことは即「負け組」とのレッテルを貼られました。
芸人さんのエピソードでよく語られていた「自分の今のレベル以上の家賃の家に住む、そうすれば売れる」といったメンタリティをずっと引きずっていました。
もう、この手の思い込みは「昭和の遺物」として博物館行きになるでしょうね。
実際、若い人たちを中心として価値観や労働観、人生観が変わりつつあるのを感じます。
「消費者」から「生活者」へとその視点を移しつつあるとも言えます。


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