ホロスコープ 〜星の小説の青写真

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小説
自分を主人公にして書かれる小説がある。

それはプロットにも満たない段階で終わっていて、ストーリーは主人公である自分に委ねられている。白昼夢の中の青写真くらいぼんやりしたもので、例えるなら、ビッグバンが起こる瞬間の、そこから世界が形作られていくポテンシャルエネルギーを切り取ったようなものだ。

誰がこの青写真を作ったのか、それはわからない。魂のような善意によるものなのか、神のような悪意によるものなのか、それとも、宇宙と同じカオスとニュートラルから自然発生するものなのか。

青写真は自分が地球上に生まれ落ちた瞬間の空を切り取ったもので、その瞬間の太陽系の天体の配置から意味を成している。

それぞれの天体は擬人化されていて、彼らは皆、ギリシャ神話に登場する神々である。天体たちが神話の中の神々の性格を持っていて、彼らが持つエネルギーが下界である地球上の世界、人間たちに何らかの ―とりわけ心理的な― 影響を及ぼしている、というわけだ。

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これが事実だとすると、宇宙というものはやはり何か神秘的で神聖な力が渦巻いていて、それを読み取った古来の人々が言葉に表したものが神話なのだろうか。

子供の頃はそれが当たり前のように思っていた。大人になってからも深くは考えずに、ただそういうものだと思っていた。自分にとって、神秘的なもの、目に見えない何か不思議なものがこの世にあるという思いはごくごく自然なもので、星とか神話とか美しいものに結びつけられると、性善説のように当たり前のように思うのだった。

宇宙が神秘的なものであるのは周知の事実として、この世に神秘的なこと、目に見えないなにか不思議なことがあることも、経験して事実だとわかっている。間違っていたのは、誰もがそう植え付けられているように、神話や神々が神聖なものとされることに突っ込んだ疑問を持たなかったことだ。

実際に神話を読んで、そこで語られる宇宙の権威を持った神々のことを神聖で崇高な、別の言葉で言いかえるなら、宇宙の意思を体現するような尊い存在だと本気で感じる人はどれくらいいるだろうか。天界の、うっとりするほど美しく見えるイメージの中で描かれながらも、神々は粗暴であり、やりたい放題だ。むしろ低俗でさえある。それでも権威は最初から彼らにあって、その権威を振りかざしているだけの存在ではないか。

何より、神話や聖書は血生臭い。まるで、殺すための正当な理由が作られているかのように、神のために動物や人を生贄に捧げ、誰かを討ち破った者こそが力の象徴であり世界を制覇していく。学校で習った歴史上の権力者たちだって同じだ。どの一族がどの一族を滅ぼした、どの国がどの国を滅ぼした ―そんなことばかりを習った。歴史とは、そうやって動いていったのだ。神話と同じように。

ひょっとしたら、神話や聖書というものは、歴史をそのように動かしていくためのシナリオではないのか。それを隠して、圧倒的な神聖さを醸し出すかのように、それらのモチーフは中世の美しい絵画にこぞって描かれ、教会や仏閣は美を結集して荘厳に装飾され、天界のような周波数の音楽が奏でられる。そして人々は崇拝する。

「行いが神聖な」というのは、英語でsacred。sacrifice「犠牲、生贄」と同じ語源を持つ。「神聖なもの(sacer)を作る(facere)」というラテン語から来ているらしい。この事実を歪めずに見ると、生贄を必要としているのがこの世界の神なのだろうか。

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話を戻そう。

では、自分を主人公にして書かれるこの本の青写真は、神のような神聖な宇宙のエネルギーによって作られたのだろうか。

それは、どうやら違うらしい。もちろん、宇宙ははかり知れないし、自然の法則も超自然も両方存在すると思っている。でも、それと「これ」とでは矛盾が生じてくるのだ。

宗教も「スピリチュアル」とされているものも同じように感じるのだが、自然だと信じていたものが、じつは人工だったような、おとぎ話と信じていたものが、じつはサイファイだったような、人体の神秘と信じていたものが、じつはDNAコードという数学的な暗号で全て決まっていたような。長い間これについて学んできて、似ていると思ったのはむしろそういうことだった。

これは当たり前のように想像していたことに反するもので、結構ショックだった。自然や神秘やおとぎ話はこわくない。でも、科学や人工やサイファイになると、そこはかとない不気味さを感じてしまう。

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ホロスコープ ―それが青写真の名前だ。各天体とそれに対応するサインは数々のキーワードで意味付けされていて、単純にそのキーワードひとつひとつを当てはめて読み取っていくような極めて合理的なかたちで解読される。

占星術はサインでいうと水瓶座にあたるらしい。なぜ魚座じゃないんだろうと以前は思っていたけれど、今は納得できる。占星術というもの自体は、おとぎ話よりもサイファイに似ていたのだから。

いずれにせよ、ホロスコープという青写真をもとに、この本をどんな物語にしていくかは主人公に委ねられている。

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