刺さったお説法。

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コラム
昨日は亡き父の何度か目の法要であった。
法要を執り行ったのは御歳八十何歳かの先代住職で、法要開始の際に
「はて。今日はお爺さんの○○回忌の…⁇」
といきなり「おいおい‼︎」と突っ込みを入れそうになったが、
法要用の法衣に着替えるとスイッチが入ったのか、仏間に緊張感が張り詰め、法要が始まった。

読経の最中、葬儀場を出る前の最後のお別れの場面を思い出した。
父の好きだった焼酎を父の親友の方に口に含ませて頂き、
皆で棺に花を入れる時、大泣きする私を従姉が宥めてくれた。
…何と無く。本当に何と無くであったが、温かく感じ、父が私の前に来てくれた様な気がした。

その日は先代住職は葬儀の応援要請も有り、過密スケジュールで
法話は「短いもので失礼します」との事。
その内容は。

お釈迦様の弟弟子が人生の中で禁じられた十項目の中の
「盗む事勿れ」。
その中から特に
「時盗、つまり他人から時間泥棒をしてはならない、貴重な時間を割いて貰っている中、迷惑をかける事勿れ」
「愛盗、他人から愛する人を奪うな、他人同士を仲違いする様な事をしてはならない」

…前者については、無意識にその様な事をしてしまっているかも知れない事が多々ある。
LINE、電話をするタイミング、アポなし訪問、呼び止めて話しかけてしまう、等。日常の至る場所、時間、あちこちでやらかしているかも知れない。
ぎくりとした。
後者については私自身、そんな趣味は無い。寧ろ昔「被害者」の立場になった事があり、未だに心の傷として残り、忌まわしい記憶がある。
しかし、直接では無く、何らかの形で誰かを傷付けたり、人間関係を拗らせてしまう事もある事を念頭に置いて行動しようと肝に銘じたい。

…いつもなら、お説法に絶対に趣味のカラオケの話や飲み屋の話を織り込む、
母の言う所の「俗モノ坊主」なのだが。


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