大学を卒業して、正社員の職に就いたのですが。
嫌だったのです。
で、嫌な仕事を嫌々しながら生きて行くのは嫌だ。と思うようになって。
それで「歌が歌いたい」と思って。
職を辞めて歌を歌うことにしました。
正社員の職を辞めると言った時、父に「お前は何がしたいんだ」と聞かれたので、「私は歌が歌いたい」と言いました。
父は少し、言葉に困ったようです。
「趣味でやるんだろ?」と言いました。
私はどっかで働いて家賃さえ払っていれば追い出されることはない。
音楽活動をすることを反対された訳じゃない。と取って。
「そうだ」と言いました。
あとになって考えましたが。
例えばここでミュージシャンになりたい。とか言っていたら反対された可能性もあります。
現実を見ろ。みたいな。
でも「歌が歌いたい」は行動です。
止めようがなかったのだろうと思います。
また、父は何かあるなら助けたいと言う気持ちがあったようなのです。
「子に頼られたい」と言う親心でしょうか。
子どもとして、親を頼る。と言うか。
親として、人生の先輩としてのプライドもあったのかな。とは思うのです。
「俺は音楽はわからん、ツテもない、何か期待しても無駄だぞ」と言われました。
まぁ、逆に私が「子である」を言い訳に、親に何か協力を依頼して、やってもらうのが当然となっても困ります。
親の金ありき。みたいな。
また、親の生活スタイルを変えてもらわないといけない。とか。
送迎がいる。とか。
そう言う寄生みたいにならないように。と言う意味だったのかもしれません。
私は「自分でやる」と言いました。
父はそれで、少し、安心したようです。
伯母にあとで聞いたところ、家系的に音楽と言うのは無縁だったようなのです。
父もまさか、どうして、と。うろたえたのかもしれません。
私はそもそも、親に反対されたところで1人でやる気だったのです。
別に、そこに親の承認はいらないとすら思っていました。
だから反対されなかっただけで、よかったのです。
でも、何をしたらいいのかよくわかりません。
漠然と、オーディションの存在は知っていました。
ただ、大手のオーディションは応募条件が細かく、また年齢制限的なものもありました。
色々調べて行って、初心者OKのとあるインディーズの音楽会社のオーディションに行きました。
wellen. あなたの「想い」を音楽という形に
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(2)インディーズとメジャーの違い
インディーズとメジャーの違いは、レーベルの違いと言えます。
大手レコード会社やその系列の会社をメジャー・レーベル、また、それ以外の場合をインディーズ・レーベルと呼び、区別しています。
日本においてメジャー・レーベルは、日本レコード協会に入会していることが目印になります。
日本レコード協会に入会している、主なレコード会社は以下の通りです。
大手レコード会社
エイベックス・エンタテインメント株式会社
ユニバーサル ミュージック合同会社
株式会社ソニー・ミュージックレーベルズ
株式会社ワーナーミュージック・ジャパン
株式会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
上記のレコード会社の関連・傘下部門にあるのがメジャー・レーベルです。
オーディションは落ちましたが、レッスン生として月謝を払ってボイストレーニングに通うことになりました。
そこで先生と話し合って、私は歌が歌いたい、作詞もしたいと言いました。
ボイストレーニング用の課題曲はありましたが、私の作詞に先生が曲をつけてくれてそれの練習もしていました。
で、ここではもうこれ以上は合わないな。と、今後の方針に疑問を覚えた時に止めました。
次に、別のインディーズ会社に行きました。
うろ覚えですが、確か。当時やっていたツイッターで音楽活動をしている。と言う発信はしていました。
そこに売り込みが来たような気がします。
私は作詞をして作ってもらった曲を持って行って、そこのインディーズ会社に行きました。
そこでは所属になって。
自費でCDを作る契約を交わしました。
元あった2曲と、新しく作詞した2曲。
作曲をお願いして、私が歌って。
インディーズでCDを出しました。
売れませんでした。
当たり前なんですけどねꉂꉂ(˃▿˂๑)爆笑
今にしても思いますし、当時も思いました。
もちろん、買ってくれた友達はいると思います。
たぶん。
宣伝はしました。
でも、買ったかどうかは聞いていません。
ただまぁ、言われたのは「普通、お金払ってCD作ったりしない」と。その一言です。
嫌味ではありません。
私の熱意と情熱を買ってくれた言葉です。
私は趣味が高じてこうなったようなものです。
変な話、人に何か言えるようなものではないと思っていました。
でも、社会人になってから、そこまで何かをする。しかもお金払って。
と言うのは、確かに。
ある意味で贅沢なものだったのかもしれません。
普通、例えばすでに家庭を持っていたり、何かの職についていたり、将来のことを考えていたり、親の老後について考えているのが一般的なのかもしれません。
まだお金を払って資格を取る方が広く理解はされたかもしれません。
ただ、非正規で働いて生活費を稼ぎながら音楽活動をしていると、例えばもっともっと強い思いでメジャーを目指していたり、すでにファンが付いている人とも交流する機会はありました。
この2つのインディーズ会社は、横との繋がりを作ってOKだったからです。
例えば、当時知り合った相手のライブに行くこともありました。
インディーズ会社主催のライブに、そのインディーズ会社所属のアーティストがいることもありました。
私はもっと個人的な活動がしたかったのです。
個人的に完結するものだと思っていたのですが、インディーズ会社の方針もあって他者と関わることもありました。
そこにいて、音楽を目指す人たちがいました。
私は作詞の話の前置きに説明がしたかっただけなのですが、長くなっているのは自覚がありました。
でも、ここまで書いて気がつきました。
あの時、インディーズ会社主催のライブがあるから。と、出たくもないのに、人前で歌いました。
ちょっと面白くもなって。
今度は自分でライブ出演をしたこともありました。
チケットが売れなくて、チケット代自分で払いました。
本当はお客さんが呼べたら一番よかったんでしょうけどね。
友達に毎回来てもらう訳にはいきません。
ライブハウス・ライブの主催者としては、お客さんが呼べた方がいいのだろうと思って、ある時からライブに出るのは止めました。
私はやりたいことをしているのに。
やりたかった歌を歌っているのに。
どうしてかやりたくないライブ出演をしてもいました。
だけどまぁ、その選択は、確かに、私に何かを、もたらしたのかもしれません。
改めて書いてみて、ちょっと思うことがありました。
でも、しなくてもよかったなと思うことがあるのも確かです。
それはやっぱり、しなくてもよかったな。とは思います。
まぁ、なんか。
やっぱり、それでよかったのかな。と言う感じです。
己に許せることだけ。
だけど、ちょっと、だけ。
そこにいるためには必要と強制されたようなものでもありました。
だけど、
それを決めたのは、私なのです。
***
長くなったので分けます。