中小企業経営のための情報発信ブログ507:本の紹介 知の操縦法

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今日もブログをご覧いただきありがとうございます。
今日は、佐藤優著「知の操縦法」(平凡社)を紹介します。
若者だけでなく、日本社会全体で「読む力」が低下してきています。佐藤氏は、ほとんどスマホから情報を得ている人の読む力が落ちている」と言います。確かに、LINEをはじめとするSNS、SMSなどをもっぱら利用することが増え、そこでは限られた語彙しか用いられず、短文の話し言葉、絵文字やスタンプで感情表現します。日常的に簡単な話し言葉しか用いていないと「読む力」が低下し、それに伴って、「聞く力」「話す力」「書く力」も退化してしまいます。
ネット環境が充実し、多くの人が多くの情報に接し様々な情報を得るようになっているにもかかわらず、知的退行が起きているのです。こうした知的退行から抜け出すために、自覚的に「読む力」を強化しなければなまりせん。佐藤氏は、この本の中で、百科事典の使い方やヘーゲルの「精神現象学」の読み解き方に多くのページを使い、「読む力」の鍛え方について説明されています。
第1章 いま求められている知とは何か
 日本において、佐藤氏が言われる「客観性、実証性を軽視若しくは無視して自分が欲するようにものごとを理解する」反知性主義がはびこり、「国家による福祉・公共サービスの縮小、大幅な規制緩和と市場原理主義を重視する」新自由主義が幅を利かせ、知の体力が大幅に落ちています。
 日本の義務教育は、知識の詰込み方式なので、日本人は「丸暗記」や「解法のパターンを覚える」というのは得意ですが、自分の頭で物事を考えるというのは不得手です。実社会では決まりきった問題などありません。今までの知識や経験を使って、それを組み合わせ応用しながらどのように対応していくかということが重要になるのです。そして、そこで必要なのは断片的な知識ではなく、物の考え方の土台となる体系的な知識です。断片的な知を結び付ける体系知が重要になります。
 ここで百科事典の使い方について書かれています。佐藤氏は、「百科事典を使う理由は、ただ事実関係をチェックするためだけではなく、百科事典に載っていない内容は専門家にしかわからない内容だという線引きができる」と言っています。百科事典と同じようのものとしてWikipediaがありますが、専門家が執筆していないので出典が明らかでない記述や内容的に間違っていることも多く、体系知には向きません。
 佐藤氏は、何かを学ぶときにはまず型にはまった知を身につけることが大切だと言います。基礎がないところには応用もありませんし、基礎を押さえてないと間違った方向に行くからです。そこで役立つのが百科事典なのです。
 百科事典は、高校レベルの知識がある人が理解できる内容になっていますので、百科事典を読んで理解できないというのでは高校レベルの知識の欠損があることになります。そうした知識の欠損は、高校の教科書等で身につけていく必要があります。
第2章 知の枠組を身に付ける
 ここでは、戦前と戦後の百科事典を読み比べて、体系知とはどのようなものかが説明されています。知というのは時代とともに変わります。戦前・戦後の百科事典を読み比べることで、その時代の知、さらには体系知の違いが読み取れます。
 百科事典を読むことによって、さらに読み比べることによって、知の枠組みが身に付きます。
 ここで、佐藤氏は、「現われてくるアイデンティティによっては、自分がマジョリティになることもマイノリティになることもあります。普段は意識していなくても、社会が流動化してくると、自分が持っている複合アイデンティティに気づきやすくなります。このように自分とは個別の『私』の集合体であり、複合的な存在です。(中略)アイデンティティが複合していると分かっていることが重要で、自分の中にも多元性があることが分かれば、世界の多元性も捉えられるようになります」と言っています。
第3章 知の系譜を知る
 多元的で複線的な思考を身につけるためには、知の地盤、物の考え方を作っていかなければならず、そのためにはタテの歴史を押さえていかなければならないと言っています。今の学問は、古代ギリシャから続く、長い歴史の上に成り立っているからです。古代ギリシャでは物事を観察し、体系化・論理化していきました。ただ見るだけで考察をしていくのです。
 佐藤氏は、「目に見えるものだけでなく、目に見えないものをとらえることができるかが重要です。見えるものは個別の問題にしか当てはめることができず、思考に制限が出てしまいます。目に見えないもの、いわばメタ的なものをとらえることができるかどうかにより、思考の幅が広がります」と言っています。
 本書の後半からはヘーゲルの「精神現象学」を読ヘーゲルの物の見方を実際問題に応用するかが書かれています。
 ヘーゲルのような古典を読む前には、ヘーゲル以前と以後の流れを押さえておく必要があります。基本的な哲学史の知識がなければなりません。現代の哲学者も思想家も、選考する哲学者の業績を踏まえたうえで、それを発展させたり、独自の哲学を生み出したりしているからです。
必ずしも原書を読む必要はありませんが、型を押さえておかないとでたらめになってしまいます。
第4章 哲学の知を生かす
 ここから、ヘーゲルの「精神現象学」が解説されています。内容は本書に譲りますが、ヘーゲルのような人物を知るときには百科事典の項目に載っているような型を押さえておく必要があります。ある人物の思想や哲学を知るにはその人物像を把握しておく必要があるからです。ヘーゲルは一昔前までは生真面目な大哲学者という扱いでしたが最近の実証研究では、酒飲みでブラックユーモアが好きで、ヘーゲルが書き散らかしたものに弟子たちが筆を入れまとめ神聖化していったということのようです。
 一つのことが立場によって違って見えるというのは、まさにヘーゲル的です。ある当事者にはこう見えて、また別の当事者からはこう見えて・・・と常に複線的な思考を行うことがヘーベルの物の見方です。「精神現象学」は、ある仮説を立て、結論を出し、また考え直して・・・という、いわば思考のプロセスを延々と続けていきます。「私からはこう見える」「別の人からはこう見える」と視座を変えるのです。論理的思考である垂直思考ではなく、昨日書いた水平思考、つまり視点をずらして別の視点から考えるということに通じるようにも思います。
第5章 知の技法を培う
 実用的なノウハウは使える用途が限られているので、安直なノウハウ本で断片的な知識を身につけても長期的には役に立ちません。古典こそが、現実の出来事を具体的に見ていくうえで役に立ちます。根源的な知を身につけ思考の土台を作り、実際に役に立つところまで落とし込んでいくことが求められています。
 しかし、いきなりヘーゲルのような古典を読んでも容易に理解できません。先ずは解説書を読んで全体像を掴んでから原書やより詳しい専門書に当たる方が理解が早く深まります。
 問題は、知を身につけ思考の土台を作り、役に立つところまで落とし込むこと、つまり思想や物の見方を具体的な例に落とし込んでいく技法を身につけることが大事です。
 この作業に必要なのは、入学試験や資格試験のために身につけてきた、公式や理論を用いて練習問題を解くという技法ではなく、物事を類比的に理解していくアナロジーの技法であると言っています。アナロジーとは、物事にある何らかの鋳型やひな形がどう変型していくかを推論することで関係性や構造が全く関係ない問題にどういう風に表れているのかという読み解きをしていくことです。思考の鋳型を身につけるには哲学の知識が必要ですが、穴ロジカルな見方をするためには文学的な素養が必要で、小説や映画は他の人の体験を類比的にとらえていくために役に立つと言っています。
 私たちの勉強は、ヘーゲル的に言えば、生成の課程にあって永遠に終わりません。「分かった」「できた」と思っていること自体は体系知で整合性が採れていますが、当然状況は変化し新しい知見が出てくるので、やり直しが必要になります。体系知に至る道そのものが体系知であって、総合的に連関させてものごとを理解していかなければいけないのですが、これを行っていくには、究極的には自分自身の生が入った主観的な状態でなければならないと言っています。
第6章 知を実践する
 佐藤氏は、「ヘーゲル哲学の力を借りれば、表面的に対立していることや矛盾していることにも共通する何かがあるという理屈を打ち立てることができるので、社会生活での悩みを抱いている人は、ヘーゲルを読むことで処方箋を出すことができる」と言います。
 ヘーゲルの考え方は、対立と矛盾を弁証法で乗り越えていくことです。弁証法とは、基本的には対話をベースとして真理を得ていく方法で、矛盾や対立、否定といったものを、対話で乗り越えていくのです。対話に終わりがないように弁証法にも終わりがりません。「こうなっているのではないか」と自分の意見を述べたら、他人の意見に虚心坦懐に耳を傾け、考え反省したうえで、再度自分なりの結論を出しその結論に対して質問されれば答え、これが繰り返されるのです。
この本は、百科事典やヘーゲル「精神現象学」を取り上げていて、かなり難しい内容になっていますが、「知の退行」が明らかな現代においては、知の体系を作るうえで読んでおくべき本ではないかとも思います。
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