気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その7~

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このブログの3回目に、「やっても得することなんか何も無い」と書きましたが、実際のところ、それは本当はどうなんだか分かりません。
確実に言えることがあるとすれば、昨日までにご紹介したような呼吸との付き合い方をしたせいで、少なくとも僕は今日までは死んでないということです。

さて、自分に触れてあげることで感じる体温や感覚の変化が呼吸の内面ですと、繰り返し述べています。
これだけだと、本当に簡単過ぎて、自分に厳しい世界に憧れている人には本当に物足りないんだと思います。

よくね、訊かれるんですよ。「これって、毎日やるんですか」とか、「何分ぐらいやればいいんですか」とか。
それで僕が、「毎日必ず3時間はやってください」とでも言ったらホントにやるんですか、という話なんです。

きっと、何か目標となるような分かり易い指標が欲しいのだと思うんです、そういう方は。
そういうのがあれば、当面は新しい心の張りになる。
最初の内は、続けてれば何か得があるかも知れないと、このブログさえ読んでなければ思うでしょうから、数日は続くんでしょう。
でも、そのアドバンテージ期間が過ぎると、段々と継続が心の重荷となり、やってても最初の頃のようには充実感も感じられず、忘れたりサボったりした日には、また新しい負の歴史を刻んでしまうことになる。

こんなことは、もう、やめときましょう。
取り決めなんか、一切必要の無い事をやろうとしているんです。

例えば、ここまでにご紹介した体に触れるということを、まぁ、せっかくのご縁ですから一回ぐらいは実際にやってみてはもらいたいですが、その感じをちょっと味わって、印象というか記憶というか、そんな領域に残ったものを時折反芻するように思い返すこともあったりするでしょうし。
または、完全に忘れてしまうこともあるでしょう。
それでも、体レベルの記憶にはしっかりと刻まれていて、本人が特に自覚してなくても、経験したワークというものはゆっくりゆっくり自分の中で成長し、進み続けています。
そんな中で、またやりたくなったらその時にやれば良いでしょうし、本当に、何も決めなくていい。

少なくとも、自分の命、肉体を伴った命を根底から支えてくれている大事な大事な呼吸を、頑張りとかガッカリの材料にするのは、やめときましょう。

つづく
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