お知らせ その11

告知
占い
ふだんの家事や介護が忙しい、、と言っておりましたが。
とうとう、看取りの時期にさしかかってしまったようです。
義父に続き、義母まで旅立っていってしまいました。

というわけで、嫁の立場ではあるので{相続}そのものには、私は関係ないのですが、今後のお片付け、雑用があります(しかも遠方に住んでいましたので、泊りがけの出張状態が増えてしまうのです)。

というわけで、一応5月末までは、ほぼお仕事をしないつもりでおります。
ただ、今までのお客様には、カルテではないですが、色々と鑑定の結果を残していて、気にかけている(こちらが勝手にww)こともありますので、お声がけはご遠慮なくどうぞと思います。
運勢の転換点など、人間の都合でどうこう出来ることもないのです。
多少時間がかかっても、この時期に鑑定したいのですという場合は、ありがたくやらせていただきます。(逆に、こちらの都合で休んでばかりでいますのが、本当に申し訳ないです)

あ、もちろん初めましてのお客様であっても、メッセージをくだされば、お返事は必ず返しております。
他にも、良い先生がたくさんおられるのをご存じの上でお声がけくださる方もおられます。光栄です。追い返すようなことをしたいわけではないので、怖がらずにどうぞよろしくお願いします。
ただ、やはり占いたい時にポンと対応できない欠点というのは、大きいですから、こちらとしてはご満足できるかどうかと心配なのです。

また、ログインできていない状態の時には、なかなかメッセージを読めず、読んですぐお返事が出来ないこともありますから、お返事をお待たせすることが多いと思ってくださいませ。ご了承よろしくお願いいたします。

まれにメッセージが溜まっている場合、一度で全部のお返事が返せないということもあります。(メンタルやられている時は、既読スルーみたい?とか思って、ちょっとしたことが辛くて刺さるかと思いますが、いや、花きゃべつさん、そこまで嫌な人じゃなかったかも、と信じてやってくださいませ)


 さて、業務連絡は以上です。
 義母のことを少し追悼させてくださいませ。

がんこな義父と異なり、義母は少しわがままだけど可愛らしい人で、嫁姑の間柄でしたけれど、そこまで仲が悪いわけではなかったのです。
いや、義母が以前入院した先では、あまりに自然に親子だったように見えたらしく、
『え?、娘さんじゃないの?』
と聞かれ、
『え?息子の嫁ですけど…?』
『はい、嫁ですけど…?』
と答え、お互いにあとで
『どういう風に見えているのかなぁ?』
『どこか、似てるところあるんですかね?』
と笑いあっていたくらいです。

まぁ、実母と違うところは、他の入院患者さんが私を気に入ってくれたのか、やたら話しかけてくるということで機嫌を悪くして、いきなり個室に移りたいって行動してしまうところかもでした(笑)。
性格の違いもあるでしょうが、さすがに産んだ人は自慢するかもですが、焼きもちは焼かないんじゃないかと思ったりしました。

同居していなかったし、(向こうも私もマイペース、自分のリズムがなにより大切なところが似ていて)、同居は望んでいなかったのですが。
かなりの頻度でやり取りしていた(旦那よりも)ので、まぁ潜在的に仲良しだったと思います(*^^*)。

義父の葬儀のあと、隣で並んで
『残された私たち、なんとか少しでも幸せに、なんとか少しでも元気に長く生きていきましょうね』
と話していたのですが。
それで、色々と計画を立て、遺族年金の手続きとか考えて動いていたのですが。
いきなり体調を崩して、急逝してしまいました。(と、こう書いている今も、まだ、どこかでおかしいなぁ、、、、と感じているのです)

義父の時は病気で、数か月前から覚悟をしていたのですが、
義母は本当にあっけなく、一緒にお葬式をしていたのに、いきなりあちら側に行ってしまったのです。
彼岸、という言葉の意味はこういうことだったのでしょうか。
ここから、もっと親孝行できる、と思っていたのでがっくりきています。間に合わなかったのだな、もう少し前から考えて動くべきだったと思っても、その反省すら遅いので、やるせないです。


ロシアによるウクライナ侵攻が続き、毎日たくさんの人が亡くなっていきます。私はいまだウクライナびいきですから(自分の国土が戦場になっていることを考えると、本当に一秒でも我慢なりません)、つい反転攻勢と聞くと、まるでスポーツの応援をしているかのように、気持ちが高揚します。
ロシアの民間人の虐待とか、ひどい戦争犯罪行為も多くありますから。

でも、燃えて爆発した戦車の中にいるのは、敵かもしれないが、人間です。
憎たらしいロシアだけど、戦争の責任は負ってほしいけど、ロシア人が亡くなることは、ウクライナ人が亡くなることと同様に悲しいです。

馬鹿みたいですよね。
どちらも死にたくない、亡くなると惜しい人たちが最前線で対峙して殺しあっているんですよ。
その馬鹿みたいな状況を創り出した人を責めて一刻もその状況をやめさせたいのに、全くやめさせることができないんですよ。
様々な国の様々な偉い人がたくさんいるのに。

人が一人亡くなる。
人を一人看取る。
めちゃくちゃ悲しいです。つらいです。惜しいです。
80過ぎている高齢者を見送っていても、つらいんです。

自分も若い頃、辛くて自分でジ・エンドしたいと思うことはありました。
自分がちっぽけでみっともなくて、生きている方がなんか恥ずかしいように思い、それを自分で知っているのが毎日辛い、そういう気持ちはしていました。
今、年を取って心から、その選択をしなくて良かったと思います。
惜しい、もったいない、なんで?、と悲しく思わせなくて良かったと思います。

惜しくない人なんて、いません。
いずれ、本当に亡くなるまで、意外とあっという間です。
やりたいことをどんどんやっていこう、そう思います。

恥ずかしい自分でもいい、と自分を慰めつつ、よたよたと日本の片隅で頑張っていきますよ。
還暦過ぎた自分の方が、若い頃の自分よりもみっともない(使いでがない)ように思いますが、(子供の頃にさんざん優勢優先、劣勢劣後の価値観を植え付けられたからそう思うんじゃないかと思います)
故石原慎太郎さんも、中高年のおばちゃんはいらない存在みたく考えておられましたが。
もう子供が産めなくて、子育ても介護も終わったおばちゃんは役目を終えた、だから価値がない、なんてまずしい発想ですわ(あの時、じゃあ、おじちゃんはどうかな?とかご自分のこと思ったかどうかは知りませんww)。

まぁ、誰がなんと言おうと笑おうと、死神さまが来るまで生きているのが、たぶん自然なんですから。

みなさま、無理は禁物。しなきゃならないこともあるでしょうが。
やりたいことをどんどんやって、トライして、楽しんで生きましょう。

ココナラを続けていきたいと思っていますから、今後ともよろしくお願いいたします。






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