経歴

経歴

  • 声優学科 2003年4月 2011年10月

    声優になりたかった。小さいころからアニメが好きで、中学生のころ乙女ゲームに夢中になった。 私もいつかあそこに立って笑顔で手を振るんだと、声優イベントへ行った帰り道、そう決意した。 早速養成所を探した。週一回から通えて、学生でも受け入れてくれるところがあった。親に頼み込んで学費を出してもらい、期待に胸を膨らませてレッスンに参加した。 「梓弓さん、何言ってるのか全く分からないよ」 初日に先生に言われたのはその一言だった。 滑舌が壊滅的に悪かった。訛りもあって早口だった。まともに聞き取れる音が母音だけ、という状態から私はスタートした。 ダメ出しの時、滑舌のことしか言われない期間が3年は続いた。 その後、ようやく芝居のことをアドバイスしてもらえるようになって、それでも滑舌の問題はついて回った。 意地、だったのだと思う。 今になって振り返ると、いつ辞めてもおかしくはない状態だった。 それなのに、専門学校や事務所直属の養成所など、足掛け10年近く通い続け、声優になることしか考えていなかった。 ある時、現役の声優の方が1か月間、特別講師としてレッスンをしてくださった。 学生のころ夢中になって見ていたアニメにも出演していた、いわば憧れの人だ。 アニメのアフレコレッスンで、私は主人公の少年役をもらった。 仲間との会話シーンで、少しだけ長いセリフがあった。そこには私の苦手な音(ラ行、マ行)が入っていた。 「ああ、ここは気をつけなきゃな」と、いつものようにマーカーを引いた。 実践が終わり、ダメ出しの時間が始まった。 その頃はちゃんと芝居のアドバイスをもらえるようになっていたから、どんなことを言ってもらえるだろうとワクワクしながら順番を待った。 「梓弓さん、ここどうしたの?」 マーカーを引いたそのセリフの時だけ、変に硬くなっていたと指摘を受けた。 私は正直に滑舌のことを話した。 するとその人は首を傾げ、 「僕は梓弓さんに会ってから、一度も滑舌悪いなんて思ったことないよ」 「自分で自分に呪いをかけているだけだよ。そんなこと気にしていないで、もっと芝居に集中しなさい」 後ろ髪惹かれる思いは正直、少しだけあった。 だけどそれ以上に満足して、私はその道を去った。 憧れの人から、一番欲しかった言葉をもらえたから。

  • ライター 2015年9月 現在

    声優を諦めた後、一般企業に就職した。 だけど、恐らく神様が「会社勤めに向かない」人間につくったのだろう、まったく楽しいと思わなかった。 事務も接客も出来はする。だからするし、それでお給料をいただくわけだから文句はない。 だけど、楽しくない。だから何をやっても長続きしなかった。 ひとつのことに夢中になってやってきた今までが嘘のように、私の心は沈んでいた。 その頃付き合った人と同棲して、でもお別れすることになって、逃げるようにして地元に帰った。 しばらく鬱々と日々を過ごし、そういえば大好きだったアニメも最近は見ていないことに気づいた。 またアニメを見てみようかという気になったのは、同じタイミングで上京してそのまま結婚した、専門学校時代の友人の家に遊びに行った帰り道だった。 おススメをいくつか紹介してもらい、夜行バスの中で毛布をかぶって検索した。 知らない声優の名前が並んでいた。調べてみると、私と同世代の人たちだった。 私がアニメから離れている間にデビューして、めきめきと力をつけ、売れていった人たちだ。 それから、離れていた期間を取り戻すように、アニメばかり見るようになった。 2.5次元舞台も有名になり始めたころだったから、試しに見てみるとドンドンその魅力にはまっていった。 専門学校時代、年に何度か舞台発表があって、裏方も生徒が担当するカリキュラムだったので、私は演出を担当した。もちろん講師の指導を受けつつのことではあったが、とても達成感があり楽しかった。 「あれを仕事にできたら、幸せだろうな」 と、そう思った。 思ったら言わずにはいられない性格で、まだ役者として頑張ってる友人にそのことを話した。 「できればこういう脚本で、こういう演出をして……」 と、かなり具体的なことを言ったようだ。友人は、 「そこまで決まってるなら自分で脚本書いてみたら?」 と、何でもないことのようにそう言った。 確かに。 書いてくれる人を探すより、自分で書けるなら話は早い。 国語は得意だった。小学生のころ、遊び半分で物語を書いていたこともある。 試しに書いてみようと、キャラクターや世界観を考え、いざ執筆した。 楽しい。楽しすぎる。 やっぱりこれを仕事にしなければ。 そう決意し、今がある。