人が生きていると、他人をジャッジしてしまう場面がたくさんあります。
もちろんその中には仕事の成果など、ジャッジするべきものもあります。
ただ、ほとんどの場合、そのジャッジは不要なものだと気が付いている方はあまり多くないようです。
人はそれぞれ違う個性を持っているので、同じことに同じ価値を感じるとは限りません。
それは親子や夫婦であっても同じなのですが、Aさんにとっての喜びは、Bさんにとっては負担になるかもしれません。
例えば連絡頻度です。
毎日毎朝連絡が欲しい方もいれば、用事があるときだけでいいという方もいらっしゃいます。
どちらが悪いわけではなく、それが人それぞれの価値観です。
このふたりが恋人同士だとするとどうでしょうか。
Aさんは連絡をくれないBさんに対して不満をもち、「Bさんは連絡をくれない不誠実」とジャッジするかもしれません。
BさんはAさんを負担に思い、「Aさんは依存がひどくて自立できない」とジャッジするかもしれません。
でもAさんBさんが連絡頻度に同じ感覚や価値観を持っていれば、問題になりません。
人間関係が拗れるきっかけは、最初はとても些細なことです。
連絡頻度を例にあげましたが、価値観があっていれば問題ないこと、話し合って相手の価値観を尊重できれば乗り越えられることを、話し合うことなく不満に思い負担に感じてしまうと、人間関係には簡単に亀裂が入ってしまいます。
他人をジャッジする前に考えてみましょう。
それは自分だけの価値観ではないでしょうか。
相手に伝えて落とし所を探せないようなことでしょうか。
相手を尊重し、相手に尊重してもらえれば、案外解決する問題は少なくありません。
そのジャッジ、本当に必要ですか?