経歴

職歴

  • 松本✨かよ ができるまで 1995年4月 現在

    ・【准看護師】 民間2次救急病院 1995年4月 2016年4月

    内科病棟/ 一般外来/ 内視鏡検査室/ 健診センター/透析センター 地元密着の医療機関に勤務し看護に携わらせていただきました。 たくさんの方との出逢いを経験し、心を込めて接することの大切さを学びました。 今でも、忘れられない患者さんの顔が懐かしく思い出されます。 「ありがとう。」 「元気出たよ!」 「話せてよかった。」 そう言っていただくことも多く、自分を成長させていただいた貴重な経験です。

    ・【 主婦業 】 1999年8月 現在

    歳の差婚のスーパー多忙な夫と結婚し、365日主婦業をしています✨ 共働きの期間も長く、目の回るように忙しい日々を過ごしてきました。 子供のアレルギー対応食、介護食の調理も経験してお料理のオリジナルレシピは「少年ジャンプ」くらいの厚さになりました✨ 今では、和食/洋食/中華/製菓/製パン。 裁縫/編み物/刺し子、主婦らしくなりました。 日々、研究。 日々、努力です。 上手な手抜き、効率化ができるようになりました。

    ・年上で超多忙な夫の【 妻 】 1999年8月 現在

    結婚生活も長くなり、銀婚式を迎えます。 超多忙な夫との結婚生活中、2連休と取ってくれてのはほんの数回。 大晦日に仕事納め、元旦に仕事始め。 頭の中は仕事一色な夫。 育児も家事もほぼ私。 今どきの旦那さまたちと世代が違うせいか、 「昭和の親父」そのものの頑固な性格の夫とは、何度もぶつかり、傷ついたことも多くありました。 何度も離婚の危機を乗り越えて、また泣いての繰り返し。 少しづつ、夫への接し方を工夫してどうにか今日まで 妻 を続けてきました。

    ・【 母親 】 2001年9月 現在

    男の子、女の子の子育てをしました。 保育園、学童の助けを借りながら多くの方の支えをいただきながらも、なんとか二人とも成人しました。 アレルギー体質のため、対応食(卵、牛乳、小麦、ゴマ、魚卵、バラ科の果実の除去)の調理。 ママ友関係。 いじめ問題。 成績不振/受験。 反抗期/思春期。 子供の彼女、彼氏とのつきあい方。 母親になったおかげで多くの悩みを抱えたり、泣いたり。 当時は苦しかったけど、子育てはいつかちゃんと終わるものですね。 今では、経験したことがとても役に立っています。

    ・【 祖父 祖母の介護 】 2001年6月 2014年10月

    同居の祖父と祖母を在宅介護の末、看取りました。 生まれたときから、可愛がってくれた祖父母。 少しづつ歳を重ね弱って行くことを淋しく思ったり、守ってくれた人を守る立場になる世代交代の苦しさを感じながらの介護生活でした。 2001年から2005年4月 祖父の介護は、祖母がメインで担っていたので主に入浴介助や通院の付き添いなどの体力仕事。 祖父のために頑張る祖母の話し相手をつとめたり、介護者のサポーターとして参加していました。 介護生活のなか、長男長女を出産。 少しづつ言葉を覚える我が子と祖父との会話がとても微笑ましく、祖父大切な思い出のエピソードです。 2011年3月から2014年10月 祖母の介護は、突然始まりました。 東日本大震災に日本が大混乱のあの時、あきらかに祖母の様子に変化がありました。 明るくしっかり者の祖母にはめずらしく、我が子たちの騒ぎ声にイラ立つ。 停電に異常なほどに動揺する。 表情が険しく不安な言動が目立つ。 「やっぱり、おかしい…。」 診察予約の日まで数週間待ちました。 診断はうつ病でした。 内服薬による治療がその日から始まりました。 ほぼ活動せず座りきりの祖母。 一人にできません。 当時の私は小学生二人を育てながら病院で働いていました。 その時はじめて祖母の介護3の認定を受けて、本格的な介護生活がスタートしました。 その後、転倒し骨折。 入院生活を経て、癌で亡くなるまでの3年半、在宅で介護をして看取りました。 介護食(減塩低たんぱくきざみ食)の調理、通院介助、内服薬の管理、歩行介助、排泄援助など。 目の回るような忙しい介護生活ですが、デイサービスの支援員さんやケアマネさんに助けていただきながら、子育てとフルタイムでの仕事と両立することができました。 私を育ててくれた祖母。 年齢を重ね弱っていく姿を見るのは、ツラい気持ちになったこともありましたが、祖母の介護を通して多くの方に出逢い、かけがえのない経験をさせていただきました。 祖母は最期に「死」をもって、私や子供たちに大切な事を教えてくれました。 何度も悩み、何度も絶望感を感じた介護生活ですが、あの時の経験なくしては今の私はありません。

    ・【 難病患者としての私 】 2016年4月 現在

    ある日突然、左腕付近の激しい筋肉痛。 疲労感、倦怠感、肺からの出血、吐気嘔吐、関節炎。 どこの病院に診てもらっても、「異常なし」 大学病院でも入院検査の結果、異常が見付からず、うつ病からくる妄想 と誤診。 診察のたびに増える抗うつ薬…。 もちろん、まったく効果なし。 数カ月後に自力で減薬→断薬。 行き地獄のような断薬のツラさを経験しました。 全身の関節炎に自分の力では下着も履けず、半年間のほぼ寝たきり生活を経験します。 その後、膠原病と診断。 免疫抑制剤の注射で関節炎は良くなったのですが、外出困難なほどの倦怠感、疲労感、視界の異常、記憶障害などは治らずに残っていました。 主治医に伝えても理解してもらえず、なんの対処もありません。 誰にも理解されない症状に心が沈み、友人との交流も控えがちになりました。 時が流れ発病から4年後、神経内科の難病が見落とされていたことが判明しました。 やっと、自分の抱える症状の原因がわかりました。 ただ、病名も知られていない疾患のために、差別や無理解に傷付くことも多くあります。 突然、病気によって障害を抱え、痛みを感じ、仕事を失い、夢を失い、体が別人のようになってしまいました。 社会から爪弾きにされてしまった、家族のお荷物になってしまった。 真っ暗な冷たい地の底を這うようなツラく苦しい時間を経験しました。 自分で命を終らせよう、それが私にできる唯一の事だ、そんな事を思っていました。 こんな重たい話を家族にするのも気が引けて、私自身が電話相談を利用し癒やされた経験から、今度はどなたかのために、この経験を活かしたいと思ってご相談をお受けするようになりました。

受賞歴・執筆歴・講演歴

  • 受賞

    ココナラ電話相談員としてデビュー 2024年3月

  • 受賞

    〘昇格〙 ココナラレギュラーランクへ✨ありがとうございます 2024年3月

  • 受賞

    〘昇格〙 ココナラシルバーランクへ✨ありがとうございます 2024年5月

  • 受賞

    《昇格》ココナラプラチナランクへ✨ありがとうございます 2024年6月