経歴

経歴

  • 某情報誌 / ライター 2000年1月 2000年1月

    3つの雑誌をかけもちで担当していました。締め切り前は家に帰れないほど、すこぶる激務で、深夜にわたる外回りも多かったため、何度も体を壊しましたが、今思えばいい経験でした。 そのうちの1冊の雑誌については、ページ数が少ないものの、ライティングに関しては私一人で担当していたため、とにかく流れ作業のように書いていました。 時折、夜の街を特集する場合もあり、水商売や風俗店に勤務する女性の悩み相談を聞くこともありました。 壮絶な体験から、女性として共感できるせつない体験まで、今でも思い出す女性が何人かいます。 その経験が、早い段階で多様な価値観を受け入れられるようになった要因かもしれないと思っています。 今、自分自身が夜の街を歩くと、なぜかどこかのお店の人と間違われるのは、そのころに培った経験のせいでしょうか?年齢的に、ホステスさんではなくママさんと呼ばれることが多いのですが(笑)。 自分自身は一度も夜のお仕事をする機会がありませんでしたが、現在でもその業界のお友達は多いです。 在籍期間はそれほど長くはなかったのですが、当時の会社の仲間が現在でも私の仕事を支えてくれていることはには感謝しかありません。 その後、結婚を機にフリーランスに転身しました。 ※在籍期間は伏せたいので開始と終了を同じ年月にしています。

  • 撮影スタジオ / カメラアシスタント 2000年1月 2000年1月

    友人のカメラマンのお手伝いで撮影のアシスタントをしていました。主に成人式の前撮り撮影に携わり、着付けの経験を活かして、着崩れた場合のお直しなども担当しました。 華やかな振袖の女性をいかに美しく撮影するかは、自らは成人式に記念撮影をしなかったので、新たに知ることばかりで楽しかった思い出です。 また、成人式の前撮り撮影は1年に1度のことなので、私は毎回手順を忘れたりもしていまして、プロのカメラマンの余裕の立ち回りに感心させられたものです。 最新の作家ものの振袖を着る方、おばあちゃんから引き継いだアンティークの振袖を丈が短いながらもモダンに着こなす方、個性的な現代着物を洋服では着られないような派手な色とヘアメイクで撮影に挑む方、同じ形の振袖でも、ここまで個性を出すことができるのだなぁと改めて着物の奥深さを痛感。 この撮影時に自分のカメラが欲しくなり、一眼レフを購入しました。 まだまだ未熟ですが、ファインダーをのぞいているときは無心になれて楽しいですね。 ※在籍期間は伏せたいので開始と終了を同じ年月にしています。

  • 美容院 / 受付 2000年1月 2000年1月

    病気治療で仕事を休止してから、しばらく友人の美容院で受付などで働かせていただいていました。1度に1組のお客様しか受けないお店で、お客様の年齢層も高かったので、経験豊富なお客様のお話をじっくり聞くことができました。 嫁姑問題、育児や夫婦の問題、仕事の問題、恋愛の悩み、健康や美容への不安…。 ほとんどのお客様が女性だったので、お客様の話が私自身にとっても参考になりました。 オーナーの友人はとても聞き上手だったので、その姿を見習っているうちに、徐々にお相手が話しやすい雰囲気づくりが身についていきました。 ※在籍期間は伏せたいので開始と終了を同じ年月にしています。

  • アパレル / 販売員 2000年1月 2000年1月

    こちらは学生の頃のアルバイトです。 主に男性のブランドに配置されることが多かったです。 でも、実は私にはすごく苦手な職場でした。 アルバイトでも商品を買わなくてはいけない雰囲気だったので、社販でしたがバイト代のかなりの割合を使っていました。 こういう優柔不断さによる出費は、のちのパートナーによって厳しく矯正されました(笑) お客様と話すのは苦ではありませんでした。 年齢も幅広いお客様がいらっしゃるので、父親のような年齢のお客様には非常に可愛がっていただき、たくさん商品も買っていただきました。 若いって素晴らしい(笑) ※在籍期間は伏せたいので開始と終了を同じ年月にしています。

  • ホテル / スタッフ 2000年1月 2000年1月

    これも学生の頃の夏季のアルバイトです。 リゾート地のホテルでお土産物の販売コーナーに立ったり、お部屋の清掃、お食事の給仕などをフル回転で頑張りました。 山の中なので、当時はスーパーが近くになく、週に1回しか来ない移動販売車で欲しいものを調達するしかない生活は新鮮でした。 そんな環境なので、同年代のスタッフとはすぐに仲良くなり、いまだに連絡を取り合う友達もできました。 仕事は1ヵ月ぐらいでしたが、アルバイト代は現金でもらえた時代だったので、帰りに東京でも寄って遊ぼうと思ったのが間違い。 電話をかけている間、バッグを足元に置いていたら…持っていかれてしまいました。 ええ、全額。 友人はこの事件を、働いたのに丸坊主で帰ってきたので、バイトではなく奉公だと思ってあきらめろと言ったことから、丁稚奉公事件と呼んでいます。 ※在籍期間は伏せたいので開始と終了を同じ年月にしています。

  • アンティーク・中古着物 / イベント販売 2000年1月 2000年1月

    自分の買い付けた着物を、知り合いのお店などを借りて販売していました。 完全に趣味です。 そもそも自分用に買ったものの着なかったものを処分するために始めたのですが、やっているうちに楽しくなってしまって、販売用に買い付けるため古物商の許可を取り、回数が重なった感じです。 今でも着物は好きですが、自分はあまり着物が似合う体型じゃないのに騙し騙し着ていたので、「着物はあんまり似合わないよね」と指摘されて、現在はほぼ箪笥の肥やしになっています。 このころ着付け講師の免状を取得しましたが、たぶん今はもう他装は無理かもしれません。 ※在籍期間は伏せたいので開始と終了を同じ年月にしています。

  • 某飲料メーカー / 営業 2000年1月 2000年1月

    実はライターの仕事に就く前に、ほんの少しだけ営業職をしていたことがあります。主に取引先の御用聞きみたいな感じでしたが、当時はセクハラなんて当たり前の時代で、若き日の私は相当荒ぶったものです。 上司も同席の接待だったはずが、気づけば取引先の代表者と私だけ残されて、全員帰ってしまっていたという漫画見たいな生贄の構図。 なんとか無事に帰宅できたものの、翌日会社で上司に「どういうことですか?」って詰め寄ると「あの人君のこと気に入ってるからさ。気を使わないとね。いいなぁ女性は」と笑いながら言われて、駐車場に置いてある、その上司の車を蹴りに行きました(笑)。 結果的には向いてないと判断してすぐに転職しましたが、今思うと、男性を知る上では非常に貴重な経験だったと思います。 むしろもっとあざとく仕事したって良かったんじゃないかとも思いますが、なにせ傷つきやすくてプライドだけは高かった当時の私には不条理なことばかりでした。 ※在籍期間は伏せたいので開始と終了を同じ年月にしています。

  • 建築事務所 / 社長秘書 2000年1月 2000年1月

    社長秘書というと聞こえがいいのですが、出版社を辞めフリーになったものの、仕事は毎日あるわけじゃないので、父親の紹介で、知り合いの社長さんの身の回りのお世話をしてお小遣い稼ぎをしていた時代です。 主にスケジュール管理、経費の管理、社長が暇つぶしに読む雑誌やおやつを買いに行く、ランチに時々美味しいお店を探して連れて行く、社長の愛人さん宅への車での送り迎え…などがお仕事。 この愛人さんが、もう夢のように美しい方で、絵に描いたように儚げな魅力的な女性でした。 社長もとても彼女を大切にしていて、お金目的の愛人関係でないことは、私から見ても歴然でした。 幸か不幸か、若い頃から私は、婚外恋愛のスタイルをかなり近い場所で目にすることが多く、いろいろな恋愛のスタイルを否定しない土壌が固まっていったと思います。 ※在籍期間は伏せたいので開始と終了を同じ年月にしています。