経歴

経歴

  • ~アパレル会社に入社~ / 洋服の販売員 1999年4月 2000年6月

    とにかく周りのレールから外れたくない一心で生きていた頃。。流されるままに就活をし、受かった会社に入社しました。 ずっと周りの目ばかりを気にしながら生きてきたので、 ・いったい自分は何が好きで何が嫌いなのか?? ・本当は何をやりたいのか??  ・どんな生き方を望んでいるのか?… 自分自身のことがまるでわからない頃でした。 でも唯一洋服はずっと大好きだったので、洋服の販売員に。 (のちにこの会社がアパレル業界の中でも、有数の厳しい会社だと知ります…) 厳しい上下関係、超体育会系、ノルマ、、、 そしてとにかく接客して売り込んでいくスタイル、、 毎年、耐えられずに辞めていく人がとても多い会社。 元々対人恐怖症を抱えていた私にとっても、いうまでもなくやはり過酷な日々でした。 今日は何で怒られるんだろう… 今日は上司の機嫌は良いかな…   そんなことばかりを考えて常に緊張と不安な状態なので、一人で落ち着いてやればできる雑務もミスが増えてきました。そしてストレスを押し殺しながらの生活で、不眠や過食もかなり悪化していきました (´;ω;`) 毎日、先輩や上司にびくびくしながら仕事をこなす中、唯一の心の救いは顧客のお客様との時間でした。 ご指名で来て下さったり、おススメしたコーディネートを毎回とても嬉しそうにご購入してくれたり、 そして何より、 「最近こんなことがあってね~」 などと近況報告を話してくれる、そういうたわいもない会話がとても心和む時間でした。 今振り返ると、やはり私は人の話を聞くのが好きなんだなぁと改めて感じます。 モノを買うことだけが決して買い物ではなく、こういった店員との会話やコミュニケーションを実は楽しみにされている方もいるのだと、とても実感しました。 また毎月行われる店舗内での勉強会では、素材の合わせ方や色味の選び方などを学べたことで、さらにコーディネートの幅を広げることができました。 圧倒的に辛いことばかりだったけれど、笑  言葉遣いや、礼儀作法などを一から学べたことは、今でも自分の中での大きな財産になっています。

  • ~一人で出来る仕事を求めて~ / 受付業務 2002年2月 2004年2月

    とにかく一人で出来る仕事がしたい!! その一心でたどり着いたのが、受付業務のお仕事でした 笑 なんといってもベースに対人恐怖があるので、人と関わりながら仕事をするなど至難の業。。 そこで方向転換し、一人で完結できる仕事を選びました。 休憩室こそ人と関わるものの、仕事自体はローテーションで完全に一人業務。 なんと快適で安心できることかと、泣きそうになったのを今でもはっきりと覚えています(´;ω;`) 環境選びって本当に大事です。。。 そしてそこで働く人達も一人が好きな人が多く、どこか自分と似ていて、初めて社会の中に自分の居場所を見つけられたような感覚になり心救われました。 感覚が似ているので自然と話も合い、対人恐怖がある私でも仕事以外でプライベートでも交流をもてるようになり、それがとても自信に繋がりました。 受付では来客対応の他に、 ・電話応対 ・スケジュール管理 ・会議室の予約 ・備品管理などの庶務 などを行っていました。 業務内容はとてもシンプルでルーティーン化しやすく、急な変更も少ないので強度のHSP気質の私にとって、非常にやりやすいものでした。 誰の目もない静かな場所で、マイペースに仕事ができることの幸せ。 仕事面での過度な緊張やストレスが格段に減ったことで、不眠や過食も和らいでいきました。 朝眠そうに受付の前を通っていく人に、元気よく挨拶をすると顔が一瞬で笑顔になり、そんな些細なことが、なんだかとても嬉しかったのを覚えています。 顔なじみになると気さくに話しかけてくれる人もいて、そういうやり取りもまた心のリハビリになっていました。 この仕事を通して、自分自身のことをとても知れた気がします。 ・静かな環境でなら落ち着いてミスなく仕事ができる ・ささいなやりがいを日々感じることが、自分にとってとても大切 ・心に余裕があると、たとえ対人恐怖があったとしても、人との交流もそれなりに楽しめる 行動する時はいつだって不安もあるけれど、必ず何か良い気づきや学びがあるもの。 自分で選択することに自信をもたせてくれた経験でした☆

  • ~介護職~ / 訪問入浴 2005年2月 2007年5月

    元々おじいちゃんおばあちゃん子だったこともあり、以前から興味があった介護職に就きました。 そこでまず肌で感じたのは、ホッとする居心地の良さでした。 ・困っている方の役にたて、やりがいをとても感じられる ・ノルマや効率重視ではなく、丁寧さや人としての思いやりを第一に大切にしている ・介護現場の雰囲気、そこで働く人達とは感覚的に波長が合うこと 直属の上司は熱意の塊のような人で、とても厳しかったので精神面ではなかなかハードでしたが、、、 仕事自体はとても好きでした。 まずはお客さんが皆さん本当に優しいのです。利用者様はもちろん、介護されているご家族の方も毎回お風呂の時間をとても楽しみして下さり、そこで介護のストレスや悩みなどもたくさん打ち明けてくれました。訪問入浴は介護するご家族の心のケアでもあるのだと痛感しました。 私も祖父の在宅介護を経験したことがあるのですが、介護は孤独で毎日時間との闘い。体調が悪くても休むことは難しく、心身ともに疲れ切ってしまう方がとても多いのです。そんな時にヘルパーさんや訪問看護、訪問入浴などの方達が来てくれる時間というのは、唯一のつかのまの休息の時間でした。 在宅介護は家族という距離が近い関係性だからこその難しさもあり、こういった第三者の方達との繋がりは本当に必要不可欠だと思います。 また訪問入浴の利用者様は高齢者の方だけでなく、重度の障害の方や難病の方達もたくさんいらっしゃいました。大変な状況の中、いつも笑顔で出迎えて下さりどれだけ心が救われ、元気をもらえたかわかりません。 中にはご病気の為、話すことができず、パソコンの文字で私達と会話をして下さる方もいました。 「今日も来てくれてありがとう」「体が温まって楽になったよ」と毎回伝えてくれました。 ″人って温かいんだなぁ″ そういう人達と触れ合うたびに、人のぬくもりや優しさを感じられました。 「誰かの為に役にたてる仕事をしたい」そのことを自分に気づかせてくれた仕事でした。 そして、元をたどれば可愛がってくれた祖父母にまさに感謝です☆ 毎朝毎晩話しかけていることに気づいてくれているといいな(^^;

  • ~介護職~ / グループホーム 2008年3月 2009年5月

    前職の訪問入浴は、パワハラ寄りの厳しい上司、ハードな勤務体制などきついことはたくさんあったものの、それでも仕事自体はやりがいを感じられ、とても好きでした。 またこれまで仕事が長く続かず転職を繰り返し、職を転々としていることにものすごくコンプレックスや劣等感を感じていたので、心身ともに相変わらずギリギリでしたが、どうしても頑張りたい!という思いが強かったのです。 「今回こそは絶対頑張ってこの仕事を続けるぞ!!」 と思っていた矢先に、母から一本の電話が… 「おじいちゃんが転倒して施設に入ることを勧められたが、高額すぎてとても払いきれない、、 在宅介護しか方法がないけれど、働きながら在宅介護なんてとても一人ではできない、、」 という内容でした。 おじいちゃんおばあちゃん子の私にとって、いつも優しく愛情深く育ててくれた祖父がそんな状態と知り、 とても無念でしたが、訪問入浴を辞めて実家に帰ることに。そして在宅介護をしながらグループホームで働き始めました。 7人ほどの利用者様とゆっくり関われるグループホームは、時間の流れもゆったりとしていて、とても自分には合っていました。昼間は一緒にのんびりお散歩をしたり、一緒にレクを楽しんだり、そうやってお年寄りの方達と過ごす時間は、幼い頃の唯一の心の拠り所だった祖父母と過ごした穏やかな時間を思い出させてくれるものでした。 グループホームは重い認知症の方達が入居する場所なのですが、何というかその姿や言動が、私にはまるで幼い純粋無垢な子供に戻った様に感じられ、確かに不思議な言動はたくさんあるものの、とても可愛らしく思えました。 例えばメイクをする時間もあったのですが、女性の利用者様がとても嬉しそうに、まるで少女の様に目をキラキラさせて喜んでくれたり、レクの盆踊りの時には優しく踊りを手取り足取り教えてくれたり、会いたくてもなかなか会えないご家族のことを涙まじりにお話ししてくれたり。 そんな今でも思い出すと心和む素敵な楽しい思い出がたくさんあります。 介護というとどうしても支援することばかりに目がいきがちですが、いくつになっても自分で出来ることを自分でやることが一番の生きがいや元気の源になるのだと、このグループホームで教えてもらいました。

  • ~強烈な過去のフラッシュバック~ / そして鬱病に 2010年3月 2015年4月

    相変わらずメンタル的に辛さを抱えながらも、何とか頑張っていこうと思っていた矢先に、またしてもあることが起こります… 元々個人経営だったグループホームが経営難に陥り閉鎖されることに。。 ようやく仕事も慣れ始めた頃、またも振り出しに戻り次への職探しをすることになりました。 心身にムチを打ち続けてがむしゃらにここ数年働いてきたので、自分にとってはつかのまの休息期間でした。久々に時間に追われない日々を過ごして一気に気がゆるんだのか、、、 自分の中で何かが一気に崩れ落ちるかの様に、過去の辛かった思い出が怒涛の様に溢れ出てきてしまい、強烈なフラッシュバックが始まりました。まるでドラマや漫画の世界のようですが、今でもはっきりとあの恐怖体験をを鮮明に覚えています。 今思えば、祖父の在宅介護の為とはいえ、辛く苦しい思い出しかない大嫌いだった地元に帰ることに恐ろしいほどの恐怖心を感じていたのだと思います。だけどそれを見て見ぬふり、蓋をしてしまった… おそらくその反動だったのかもしれません。 ここから鬱症状が徐々出始めました。 ・毎朝うなされながら、大量のあぶら汗をかいて目覚める ・集中力が一気に低下し、電話すら出れない ・なぜか一か所にじっとしていられなくなり、多動がとまらなくなる ・全く一人でいられなくなり、常に家族の誰かの側にいる ・希死念慮が止まらなくなる 今にも切れそうな細い線の上を、これまでどうにか必死に綱渡りしてきて、それが一気に「プツン」と切れたような、まるでそんな感覚でした。どこから溢れてくるのかという程、毎晩涙が止まらず、これからの人生への不安と恐怖、焦燥感だけが容赦なく襲ってきました。 そして日に日に希死念慮が加速し、完全に自分自身をコントロールできなくなってしまい、親に頼んで初めて精神科を受診し、鬱病と診断されました。一番多い時で8種類の薬を飲んでいましたが、幸いコントロール不能な不安感や恐怖心はかなり収まり、大事には至らずにすみました。 そして一安心はしたものの、今度は薬の副作用との闘い。日中も眠気で寝たきりの様な状態になってしまい、日常生活に支障が出始めてしまいました。

  • ~全く先の見えない不安・孤独との闘い~ / 約7年間の引きこもり生活(前半) 2010年3月 2013年8月

    次なる試練は薬の副作用による強烈な眠気とだるさ。自分では生活リズムを全くコントロールできない…  睡眠の質も悪化し悪夢にうなされる日が続く…  そして知人から勧められた新しい病院を受診することになり、その病院との出会いが私の大きな転機となりました。 主治医は薬漬けの私の状態を見て、すぐに減薬治療に切り替えてくれ、また自分が発達障害の「ASD」であることもわかりました。これまでの生きづらさを全て、自分自身の至らなさだと攻め続けて生きてきた私にとっては、障害と診断されたことはむしろ大きな救いになりました。そしてこれまでの生きづらさの全ての謎が解き明かされた様で、先生の前で泣き崩れたのを今でも覚えています。 その後、院内のデイサービスにも通い始め、優しいスタッフの方達や相談員さん、そして診察の度に「いつもよくがんばっていますね。これからは好きなことをどんどんやっていきましょうね」と声をかけてくれる温かい主治医が私の心を本当に支えてくれました。 どんなありのままの自分であっても、理解して支えてくれる人達がいる。それは生まれて初めて感じた安堵と安心感でした。「自分のリズムでゆっくりと呼吸ができる」まさにそんな感覚でした。 そしてゆっくりと時間は流れ、おかげで取り乱すような状態からは抜け出すことができました。 けれど時間がたっぷりとある分、家で一人でいる時間を持て余すことも増えていき、たびたび襲ってくる漠然とした将来への不安と焦りに飲み込まれそうなことも増えていきました。 ・自分はこれからどう生きていきたいのか? ・自分は何が好きで何が嫌いなのか? ビックリするくらい自分自身の事がまるでわかりませんでした。 そして元々自己肯定感や自信もどん底に低くいので、ただただ家でぼーっと過ごす時間は、耐えがたいもの。。何もしない自分にはなかなか価値を見い出せず、「いったい私は何のために生きているんだろう…」と無意識レベルでの容赦ない自分責めが続きました。 一歩止まれば、世間や社会からどんどん取り残されてしまう… そんな脅迫観念と常に隣り合わせ。焦りや不安を拭うために、とにかく今の自分が出来ることを手探りで探しては試していきました。

  • ~情報収集・そして行動あるのみ~ / 約7年間の引きこもり生活(後半) 2013年9月 2016年11月

    【断捨離】 本屋やネットで情報探しの日々。そんな時、本屋である一冊の本が目に留まりました。そのあまりの素敵な生活ぶりに衝撃を受けます。今の自分の生活といえば、見るに堪えない荒れ果てた汚部屋生活。。そして「私もこんな素敵な生活をしたい!」という一心で断捨離を開始。なんと自分の部屋だけでごみ袋10袋以上を手放しました。 断捨離の世界は想像以上に奥深いものでした。モノを通して自分が本当に必要としていること、大切にしたいことが徐々に明確になっていき、自分自身を深く知ることが出来るように。そして今ではミニマリスト寄りのあの頃憧れていた様な生活ができるように! 【認知行動療法】 次に試したのが認知行動療法。直観的にやってみたいと思い、主治医に相談したところ、簡単なやり方を教えてくれました。その効果は絶大で、やればやるほど辛い自分責めが減っていきました。おかげで日々のストレスやイライラも減り、体調も上向いていきました。 断捨離も認知行動療法も今思えば、これまでずっと目を背けてきた「大切な自分自身と向き合う時間」だったのだと思います。 【あるサイトのメール相談と電話相談】 体調もかなり安定し始め、自分の中にこれまでの義務感とは違う、前向きな気持ちでの「人と関われるようになりたい」という願望が芽生え始めました。とはいえ対人恐怖はまだまだ強いので、リアルで人と接することはハードルが高すぎる…  そこでたどり着いたのがとあるサイトの「メール相談」と「電話相談」でした。そのサイトに惹かれたのは、相談員の方達も同じように生きづらさを抱えながら、今を懸命に頑張って生きている人達だったから。だからこそ、自分自身の気持ちを打ち明けてみたいと思いました。 そしてこの広い世界で悩んでいるのは自分だけじゃないのだと気付き、孤独感も和らいでいくように。相談員の方達は皆さん本当に温かくて、何より辛かったこれまでの過去の事を心から共感してくれ、どれだけ心の傷が癒え、元気をもらえたかわかりません。 思えば幼少期から人との関りが上手くできなかった私にとって、それは初めて人と心を通わせ、温かい繋がりを感じられた時間だったのだと思います。今振り返って思うのは、ちゃんと一つ一つの行動が点となり、確実に一本の線となって今の自分へと繋げてくれていたのだということ。

  • ~姉と二人三脚で祖父の介護~ / 在宅介護 2008年6月 2010年2月

    鬱と並行しながら祖父の在宅介護をしていた頃。転職活動中の姉と二人で、はじめての在宅介護に戸惑いながらも協力し合ってやっていました。(母はまだ働いていたので、実質、介護にはほとんど参加できない状態) 元々祖父の在宅介護を手伝う為に実家に帰ってきたものの、予想外に鬱になり、正直自分の事ですらままならない状態での介護はとても大変でした。とはいえ頼りになる姉が率先してやってくれたので、本当に助けられました。 病気や薬とは無縁の祖父でしたが、90代で転倒して骨折した後はすっかり寝たきりになり、認知症もあっという間に進んでいきました。自分の年齢もそして私達家族のこともほとんど認識できておらず、もちろんこれまでの様には会話も成り立たない状態。 食事の支度と介助、排泄介助、褥瘡のお手入れなど、介護は以前は仕事としての経験はあったものの、いざじっくりとやってみるとそれはもう想像以上にハードで、とにかく毎日時間との闘いでした。訪問入浴をしていた頃に目にした、介護する側のご家族の大変さが痛いほど身に沁みました。 訪問看護やヘルパー、訪問入浴も利用していたので、その時間だけは唯一気を抜ける一息つける時間でした。とはいえ、長時間の外出はできない、常に家に誰かがいなければならないというストレスは想像以上のものでした。 それ以外にも温度管理や寝返りの介助、お薬の管理など、どの工程も一つとして手は抜けないので、介護中心の生活。それでも文句ひとつ言わず、甲斐甲斐しく祖父の介護を率先してやってくれた姉には尊敬と感謝の気持ちしかありません。。 鬱でなければ、きっともっと祖父に寄り添いながら介護に携われたのかもしれないけれど、当時はそれがなかなか難しく、正直今でもたまに悔やむことがあります。けれど、大好きだった祖父とまた一緒に時間を共にできたことは、今となっては本当にかけがいのない時間でした。 そしておかげで姉との仲も深まり、結果的に祖父のおかげで家族の絆も深めることできました。子供の頃、忙しかった共働きの両親に代わり、親代わりの存在だった祖父母。家の中にも外にもどこにも居場所がなかった私に、唯一心の居場所を与えてくれました。本当に陽だまりの様な存在でした。

  • ~これから先の人生を模索する日々~ / HSPとの出会い 2018年7月 2020年1月

    これまでコツコツと行動してきたことが実を結び、体調、そして対人恐怖もかなり改善し始めました。これまで対人恐怖があることで、出来なかったことや諦めてきたことだらけだった私にとって、それはまるで神様からのギフトそのもの。もう一つの別の人生を歩んでいるかのような不思議で奇跡的な感覚でした。 そして人に心を開けるようになったことで、これまで全くという程できなかった「共感」ができるようになり、そのおかげで人と話すことや関わることが心から楽しいと感じられるように。次なるステップへ進みたいと思い、リアルで人と関わりながら心のリハビリができる方法をSNSで探し始めました。 そんなある日、「HSP」という言葉に出会いました。何だか無性に気になり調べていくうちに、自分が強度のHSPであることが判明。それは一言で言えば「自分と同じ感覚の仲間がこの世の中には実はたくさんいるんだ!」という喜びでした。そして吸い寄せられるように、HSPの交流会に参加しました。 緊張と不安もたくさんありましたが、皆さん温かく出迎えて下さり、初めて行く場所、初めて会う人達にも関わらず、不思議と安心できる一体感の様なものを感じられ、とても居心地の良い時間でした。そして何度か参加するうちに、HSPに関する情報もたくさん得られるようになっていきました。「ココナラ」の存在を知ったのも、このHSPの交流会でした。 ちょうどこの頃は、これから先の仕事について模索していた時期でした。ですが体調や対人恐怖もかなり落ち着いてきたものの、外で働くことはやはり自分にとってハードルが高く現実的ではありませんでした。そんな時に出会ったのがココナラでした。自分の得意なスキルを活かしながら、しかも在宅で活動できるココナラは、まさに私にとって理想的!。だけれど、、、活かせるスキルが全く自分では思いつかず、コンサルを受けることに。そこで自分の強みや適性を洗い出していき、勧められたのがHSPの強みも活かせる「心理カウンセラー」でした。 困っている人の役に立て、しかもこれまでの自分の経験を全て活かすことができる。そしてさらに心についての学びも深めていける。コンサルのおかげで自分のこれからの道すじ、やりたいことが明確になっていきました。

  • ~新たな大きな挑戦~ / ココナラ電話相談 2020年3月 2021年9月

    勇気を出してさっそくココナラに登録!そしてまずは膨大な記入欄を目にし、さっそく心がくじかれます (´;ω;`)。。いったいどこから手をつけていけばいいのかさっぱりわからず途方に暮れてしまい、はたして私は本当にやっていけるのだろうか…と不安もたくさん襲ってきましたが、「やれるところまでとりあえずやってみよう」と気持ちを切り替えていきました。 どんな人がどんなサービスを提供しているのかと興味津々で眺めていると、型にはまらずユニークで幅広いジャンルのサービスがとにかくたくさんあり、自由度の高いココナラのフィールドがとても魅力的に感じられました。 それから自分なりに一生懸命毎日コツコツとプロフィール欄や商品サービス欄を作成。ですが残念ながら期待通りには依頼はすぐには入りません。。「この中に本当に人がいるんだろうか?」と、時に本気で疑う程に… 笑 そして心が折れそうな時は優しくて頼もしいココナラの先輩方に相談しながら、折れそうな心を何度も立て直して続けていくうちに、少しずつ依頼が入るように☆ ありがたいことに「サクラさんのプロフィール欄を見て話してみたいと思いました」と言って電話をかけて来て下さる方も多く、どれだけ心が救われ元気を頂けたかわかりません。「心が軽くなりました」「とても安心して話せます」「また頑張れそうな気がします」そんなお客様の温かい一言一言が、本当にありがたくて、そして私に大きな力を与えてくれました。 これまでは、自分の辛かった過去はどうしても封印したい黒歴史としか思えなかったけれど、自分が経験してきたことで、困っている誰かの役にたてるのだと、お客様とココナラに気付かせてもらいました。 私自身の経験を通しても思うのですが、たとえどんなにどん底で苦しくてしんどい時でも、たった一人側で優しく自分の話に真摯に耳を傾けてくれる人がいれば、人は頑張れるのだと思うのです。逆もまたしかりで、どんなに毎日側にいても、相手の話や気持ちに耳を傾けなければ、通じ合うことはできないのだと。 これからも、精一杯心を込めて、一人でも多くの人の心に元気を届けられるように、私なりに楽しみながら頑張っていきたいと思います☘ 

  • ~摂食障害を改善したくて~ / マクロビオティック講座修了 2019年1月 2019年10月

    子供の頃からとにかく心身の不調が多かったのですが、特にストレスによる「過食」が大人になってからもずっと大きな悩みの種でした。食は毎日の事なので、嫌でもそのつらい現実と、毎日一人で向き合わなければならず、それは本当に耐え難いものでした。 ですが不幸中の幸いで、鬱病の薬を飲むようになってからは、さすがに薬を吐くことが怖くなり、それ以来「嘔吐」は止められるように。ですが相変わらず、ストレスの矛先は過食に向かっていきました。。 この辛い過食をどうにか改善できないものか… そう思っていた頃、本屋で偶然、「マクロビオティック食事療法」という本に出会いました。動物が好きすぎて以前からベジタリアンにも興味があったので、それに近しい考え方の食事療法にものすごく惹きつけられ、すぐに講座を受講しました。 食の陰陽が体に与える影響・食材や調味料の選び方・マクロビオティック料理方法など本当に勉強になることばかりでした。そして中でも私にとって一番の大きな学び・気付きとなったのが  「食とは尊い命を頂くこと☘」 という言葉でした。よくよく考えてみれば子供の頃に誰しもが教わっていることなのですが、実際に食に対して感謝の気持ちを持ったことなどなく、それどころか「食べること=ただ空腹を満たすこと」くらいにしか捉えていませんでした。 ですが、このマクロビオティックと出会えたことで、生まれて初めて心から食に対して感謝の気持ちを持てるようになり、「心の奥から満たされる」という感覚を生まれて初めて感じられるようになったのです。 それに伴い、心身にもびっくりするような嬉しい変化が起こり始めました。 肌がグンと綺麗になり、生理痛もなくなり、さらには過食も徐々に改善していきました。 この経験から感じたのは、「基本が一番大切」ということ。 人は目に見えないことや、当たり前と思いがちな大切な基本をついついおろそかにしてしまいがちですよね。 だからこそ、上手くいかない時や悩んだ時こそ、この「基本」に立ち返ることが大切なのかもしれません。 大切なこと程、目に見えにくくて難しいけれど、何事にも「感謝」という気持ちさえ忘れなければ、きっとハッピーな方向へと向かっていける気がするのです☘

受賞歴・執筆歴・講演歴

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    ココナラ プラチナランク条件達成♡ 2021年6月 2021年6月

  • 受賞

    ココナラ フォロワー様 900人越♪ありがとうございます♡ 2021年10月

  • 受賞

    ココナラ フォロワー様 1000人超!ありがとうございます 2021年10月

  • 受賞

    ココナラ フォロワー様 1200人超!ありがとうございます♡ 2021年11月

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    ココナラ販売実績170件突破! 2021年11月

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    ココナラ フォロワー様 1300人超!ありがとうございます♡ 2021年12月

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    「孤独で居場所がない方へ」ご購入者様が100名突破! 2021年12月

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    電話サービス販売200件達成♡ありがとうございます! 2021年12月

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    ココナラ フォロワー様 1400人超!ありがとうございます♡ 2022年1月

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    ココナラ フォロワー様 1500人超!ありがとうございます♡ 2022年4月

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    電話サービス販売250件達成♡ありがとうございます! 2022年4月

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    電話サービス販売300件達成♡ありがとうございます! 2022年4月

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    ココナラ フォロワー様 1600人超!ありがとうございます♡ 2022年5月

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    電話サービス販売350件達成♡ありがとうございます! 2022年6月

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    電話サービス販売400件達成♡ありがとうございます♬ 2022年8月

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    電話サービス販売450件達成♡ありがとうございます♬ 2022年10月

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    電話サービス販売500件達成♡ありがとうございます♬ 2022年10月

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    電話サービス販売550件達成♡ありがとうございます♬ 2022年12月

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    電話サービス販売600件達成♡ありがとうございます♬ 2023年2月

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    電話サービス販売650件達成♡ありがとうございます♬ 2023年5月