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あなただけじゃないよ(自信が持てない不安)

自分の仕事に自信がなくて  『肩の力を抜いて』『自信を持って』と言われても難しいことありますよね。  そんな時、良かったらお話聞かせてくださいね。  知り合いのお仕事の話で、自信を持てない新人さんの話になりました。  『もっと自信を持っていいよ何かあってもフォローするから大丈夫』と伝えても肩に力が入りすぎている。  もっと自信を持って力抜いてくれてもいいのだけどなぁ〜とのこと。  なんだか自分の新人時代を思い出しました。  私の場合は私の存在自体に自信が持てずではありましたが 私も自分の仕事に自信が持てず肩に力が入っているもっと力を抜いてと注意されていました。  でもそのように言っていただけても  新人で仕事もできないと迷惑がられているように感じて迷惑をかけちゃいけないと気を抜くことができず  周りからも見張られているような感覚でいました。  先輩がご自身の話を聞かせてくださったりして仲良くなれて  私のことを心から前向きに捉えてくださっているんだと安心できて  頑張ろうと思うことができたこともあります。  でもその事業所がなくなり異動になってしまい  そこでも『新卒?いらんし』と言われ  萎縮し気を張りながら仕事に戻ってしまいました。 そこでもまた新しい先輩が経験を聞かせてくださったり  雑談など仕事以外でも仲良くしてくださり緊張する現場でも頑張ることができました。  でも私が体を痛めてしまったり迷惑をかけてしまいその後、先輩との関係は悪くなってしまうのですが…。  そこでも、助けてくれる方は現れました。  周りに辛く当たられるようになっても守ってはくれなくてもその方の存在や
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神つづり…肩の力を抜くという生き方

新年、明けましておめでとうございます😊いよいよ2022年が明けました💖良い年をお迎えでしょうか。 さて、日枝神社という御社をご存じでしょうか❓そちらの御祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)様と申しまして、赤く塗った矢に化身する神様です。そのご利益は、 ”狙いを定めた矢が強く空を切って的を射る如く”。人の歩みの中で、 『力の入れ方(緩め方)』を示唆して下さる、おおらかで、強く優しい神様です。 先日、こちらの大山咋神(おおやまくいのかみ)様より頂きましたメッセーが、とても胸を打ちましたので、 是非、皆様にお伝えしたいと思います😊ここから先は、神つづりとさせていただきます。矢は己の力の通り、真っすぐにしか飛ばないものだ。的を射る事ばかりに気持ちが奪われておれば、自然と肩に力が入り、矢は思う方向へ飛んではいかないであろう。的を射るとは、己が自然と一体になるということだ。自然と一体とは、空気を感じ取り風を読むこと。己の心身が矢と同化する感性を養う事だ。結果は、集中してやり続ければ出るというものではない。ただ闇雲に長く続けていれば、思う結果となるという訳でもない。己を許す心。 他を受け入れる心。 それが己の気を育て風を読む力となろう。集中するならば、一度気晴らしをすると良い。仲間との会話。 少量で交わす酒。 信頼出来る者の笑顔を取入れよ。そして再び、襟を正し 背筋を伸ばし、 己と的の間の風を感じよ。 風を知れば、 肩に力を入れずとも、矢が勝手に的を目指し一直線に飛んで行くであろう。 ※お正月に神社で販売しております「破魔矢」は、こちらの大山咋神様が化身したと伝えられており、仕事や経済へご
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垢抜け感のような、肩の力が抜けているが力は出せる状態が多分ある

最近自分が垢抜けたなということでなく(笑)自分が動く動画(セミナー講座ですね)を見続けていて思ったことです(笑)頑張らなきゃというのが「出る」と人は引く絶対ではないですが、「自然な」頑張りは別にいいんじゃないかというところです。ここでは「頑張らなきゃ」がでていて、それこそ「すでにやっているのにさらにやっているよ!」というある種の「もう大変です!」というのがでているのがどうかっていうことですね。主観満載ですけどね。とはいえ、自分が「頑張りすぎている」って結構分かることでして、それが分からない、主観センサーが壊れているのであればちょっと色々と見直した方がいいわけですね。うつとかそういうのになりがちですからね。僕はそういう人を見ると、なんか大変だなと思ってしまって、「頑張りやさん」ということですね。それは結構あぶなくて、その人の評価が「頑張ること」なんて僕はやだなと。あとそういうことを言うことはないですね。そういう話は聴くと、なんかもっと違う視点や表現をすればいいのにと思うので、マネジメント的にもNGだろうなとか思いつつ。こういうと「え、じゃあ頑張っちゃ駄目なのか?」となると思うんですが、誤解しないようにいうと、やせ我慢しろってことではないんですよ。そもそも我慢してやっているのが本末転倒ではないですかね?我慢というのが瞬間的に時限的にあるということは認めるしあってもいいのですが、それは平時、常時ではない。多くの日常はたのしいとか、面白いとか、学びになるとか、地味に積んでいくことがあるので。それってものすごく力を使う(ここでは個人の最大出力やパワーを使い切るとかという意味)のはちょっと
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