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最期まで耳は聞こえてる?

「最期」とは亡くなる直前という意味である。私が新人の頃から厳しい状態の患者の家族に対し先輩は「耳は亡くなる直前まで聞こえてるので声をかけてあげてくださいね」と言っていた。その時は、「本当かよ」「先輩も言ってるし間違いではないんだろうな」と思っており自分も同じように家族に言ってきた。今度、亡くなる方の身体的な変化について講義をする予定であるがスタッフに何か疑問に思うことがあるか聞いた際に「何で耳は最後まで聞こえてるんですかね」と質問を受けた。私は、質問されると気になって調べないとしょうがない性格なので調べることにした。そして、講義のネタにしようと思った。結論から言うと、「わからない」っぽい。当然と言えば、当然の結果。亡くなった人にインタビューできない限り回答は得らないはず。ただ、聞こえてそうと考えている人の意見は聴覚は触覚や嗅覚などと違い脳が判断して行うものではなく耳の中の細胞に血液が流れていれば聞こえているはずと考えているものであった。本当にあってるかわからないけど、こういう説があるんですよくらいは説明しようと思う。認定看護師でも知らないことだらけです。日々、勉強。
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「人生最期のときをどう過ごすか」~小惑星「ベンヌ」~

宝くじで一等が当たる確率って、どのくらいだと思いますか? 実は1000万分の1なんです。 では、山でクマに殺される確率は? これは0.00046%と言われています。 飛行機の墜落事故に遭う確率は、0.0009%。 東京でタヌキに出会う確率は、0.001%。 オスの三毛猫が生まれる確率は、0.003%。 野球場で、ホームランボールを掴む確率は、0.026%です。 そして、他人に殺される確率は、0.03%だそうです。 今、ある方面で話題になっている小惑星「ベンヌ」というものがありまして、これが150年後に地球に衝突する確率が、これと同じく、0.03%なんだそうです。 この小惑星は、直径500mで、地球近傍惑星として、1999年に発見されたそうです。 これって、結構ヤバいですよね。 この小惑星がもし、地球に衝突すると、1200メガトンのエネルギーが放出されると予想されていて、これは、最も強力な核兵器のエネルギーの24倍に相当します。 これは、大変なことですよね。 そんなことになったら、間違いなく人類は滅亡してしまうでしょう。 最近、Netflixで映画「ドントルックアップ」を観ました。 これも小惑星が地球に衝突するまでを描いたコメディ映画ですが、面白いので、興味ある方は観てみてください。 想像を遥かに絶する、未曾有の大災害。 そんなことになったら、皆さんはどうしますか? 私は愛する人と一緒に、最期のときを迎えたいです。 人間、いつかは最期を迎えますから、色々と考えてみるのもいいかもしれませんね。 では、よい一日を。
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あなたが大好きな気持ちを原動力にする。

人を大好きでいる気持ちって、大きなエネルギーになりますよね。感謝して安心して信頼して尊敬する大好きな気持ち。 いつまでも仲の良いご夫婦っていいなって思います。 相手への不満や文句を口にしつつも、 相手への感謝と敬意と思いやりが見え隠れするご夫婦って、 羨ましく思います。 いやちょっと違うな、そうだな 正確に伝えるなら、 そんな風に年を取ってまでも仲の良い「老夫婦」が ほっこりと愛らしくて羨ましいなと感じる、 私の憧れの対象なのです。 そう思うのは、 私が高齢者と接している仕事をしているからかもしれないし、 私自身がシングルであることも大いに関係していそうな気がするのですが、 仲良しの老夫婦を羨ましくさせるのは、 私の両親にあるような気がします。 私の父は胃癌で亡くなったのですが、 癌が見つかった時には既に末期だったので、 手術で胃を切除するために開腹した時には 他臓器への転移で手の施しようがなく、 余命半年ないと言われました。 父の闘病は在宅で、母が看病していました。 なので、 父の最期は私と母で看取ることができました。 父も母も私も大好きだったパン屋さんで、 経鼻栄養となっていた父のぶんだけはもう買う必要なくなったけど、 お昼に食べる用のパンを買って、 父の顔を見に行ったその日、 「昨日まで元気にお話もできたのに今日は様子がおかしいの」 と母が言う通りに父はその数時間後に息を引き取り、 それはないでしょう? と思われるかもしれませんが、 「お父さん、あなたが来るのを待ってたのよ」 と母が言うのなら、 父は私が来るのを待ってから亡くなってくれたんだと そうじゃないかもしれないけ
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昨日の続き・・・。人間の最期・・・。

皆様おはようございます。ひかり★です。とうとう6月になってしまいましたね。早いものです。昨日の続き・・・。何故、亡くなる寸前に【したいことはできた。後悔はない】がいいのかというと・・・。約5年前。私の父が亡くなりました。癌で闘病生活丸1年でした。基本、在宅介護で私たち、そして叔母たちは大変な時間と労力を使いました。そして「いよいよ」というとき、救急車の中で逝くかもしれないといわれていた父は奇跡的に病院で復活。人と話せるようになりました。でも、痛みが激しかったので、鎮静剤(モルヒネではない)と投与することに・・・。その際、医師からは「もう話せなくなるので今のうちに話しておいてください」と言われ、父の兄弟、ひかり★、娘、ひかり★のいとこが一人づつベットの脇に呼ばれ一言づつ言葉を交わしました。そして最後に母が呼ばれ「俺は今までやりたいことをやりたいだけさせてもらった。もう、何も悔いはない。ありがとう」と言って医師に「打ってくれ」と言い、せん妄状態になりました。生前の父は話すとびっくりするほど【破天荒】な人でした。ひかり★は父と仕事をしていましたが娘から見ても【破天荒】な父でした。女には都度家 を購入したり、マンションを買ったり、ひどいときには女いはを会社に入れその女のために会社を興したこともあります。亡くなる5ヶ月前には「バトナムに行きたい」と駄々をこね。父の友人に補助をお願いしてベトナムへ行きました(多分ベトナムにも女がいて清算するつもりだったのでしょう)お酒を吞みに繁華街に行くときには必ず花を持って行っていました。まだ、自宅療養をしていたころに ひかり★に「俺が女に貢がなければあ
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人生の最期になって後悔しない

分刻みの会議。大事な商談をこなす。怒涛のようなタスクを完了させる。。。忙しくも充実した仕事を終え、一日を振り返る。あれ、何してたっけ。。?何をしてたか思い出せない。取り掛かってる時はあれだけ充実した時間だと思ったのに、やりがいもあるって感じてたのに。どんな話しを誰として、どんな気持ちで仕事をしていたのか。。頭にモヤがかかったみたいに記憶があいまいで思い出せない。++++++++こんなことって自分だけでしょうか??実は私はこういったことが結構あります。忙しい一日で切れ間なくたくさんの作業をしていたのに。時間もあれだけ投入したのに。これは一日の単位で起こるとも限りません。忙しい1ヶ月だったり。忙しい一年だったり。いずれもその時々では充実した時間を過ごしていたはずなのに。後から振り返るといまいち何をしていたのか、どんな感覚だったのか思い出せない。記憶そのものがおぼろげになってしまいます。早いものでもうすぐ人生も折り返し地点。自分の人生を振り返ってみれば過去には自分的にはだけど成功したと思える仕事もありました。胸を張れる努力も確かにあった。そしてその頑張った延長として築けた社内での評価もあります。でも後から人生として振り返った時にどうしても思い出と呼べるほどの記憶がないんです。何十年も会社員をやっていたのに。たくさんのことをしてきたはずなのに。振り返ってみれば同じような一年と同じような出来事を何十回何百回と繰り返しているだけじゃないか。そんな感覚に包まれます。認めたくないけど実際に同じようなことの繰り返しなんだと思います。少なくても意識はそう感じている。このままいくと死ぬ間際に人生を振
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健康は尊く、流動的なもの。

私が勤めている特別養護老人ホームについ先日、お看取りステージに入った方がお二人います。 特別養護老人ホームは医療行為を行わない、 「終の棲家」なので、 最期を施設で迎えられる方ももちろんおられます。 食べられなくなる、飲めなくなると、 お医者様でなくとも、そろそろだなと分かります。 徐々に食べられる量が減っていきます。 食べられないので痩せていきます。 食べようという気持ちはあるのか、 食事なり水分なりを口にするけど、 飲み込めないということもあります。 イメージとしては 風邪をひいて食欲がなくて、 食べられない飲めない状態がずっと続くような感じです。 健康であれば回復していくけど、 回復せず全身状態は下降していきます。 生命を維持するための生理的な活動、 呼吸や内蔵の代謝などにエネルギーが消費されていきますが、 外からエネルギーは入ってこないので元気がでなくて 生命活動は鎮静化していきます。 食べられなくなる過程を見ていくと、 拒食症と似ていると感じます。 食事を目の前にしても、 食べる意欲がわかずに呆然としてしまう 頑張って口にしても飲み込めない 看取り期の 「生きることから死に移りゆく過程」と 拒食症の 食べることを自発的に拒否していた時期が進行して 「食べることを身体が受け付けなくなる過程」と きっと変わりないんだろうと感じました。 「生きることは食べること」だと強く感じます。 つい忘れてしまうけど 健康は最も尊く大切なものです。 これは、 生まれ育った国も 家庭環境も関係なく、 私のように比較的平和な福祉の世界に身を置いていても、 競争社会、弱肉強食の世界に身を置いて
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【食事】家で最期に

あなたの最期の食事、決めていますか? 今回は、家で最期に食べる食事について紹介します。 ①どう最期を迎えるか ②食べる楽しみ ③何を食べれば良い? ④食べない選択肢 まとめ ①どう最期を迎えるか あなたにとっての最期をどう迎えたいですか? 家、病院、施設など場所はそれぞれです。 慣れ親しだ家で過ごしたいという方が多いのが現状。 最期を迎えるには、ご家族の協力も必要です。 やはり家でのお食事、気になりますよね。 ②食べる楽しみ 食べることが楽しい方は多いはず。 特に、最期を家で迎えるご年齢になると食事は生活の上で楽しみの一つになります。 病気などがあると、何を食べて良いのか分からなくなってしまうことも。 次は、具体的な食べ物について説明します。 ③何を食べれば良い? 食べるための歯や口の機能に問題がなければ、基本的には何でもOKです。 お酒、サイダー、フライドチキン、うなぎなど… あなたのお好きなものを食べて大丈夫です。 ちなみに、以下は私の担当患者さまに人気が高いものです。 ④食べない選択肢 病気や状態によっては、食べないことを選ばざるを得ない時もあります。 そんな時は、冷凍みかんの果汁を数滴なめたり、アイスを少し口に入れり… もちろん、誤嚥性肺炎のリスクがある方は医師の指示のもと行います。 最期に食べられるかどうかは、いろいろです。 しかし食べずに、点滴とわずかに口に入れるものの楽しみがあるだけでも、幸せに感じる瞬間があると良いですね。 まとめ 最期に口から食べることができるのは、幸せなことです。 病気や体の状態によって食べられない方も、安心してください。 医師や管理栄養士に
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残高0

今日、父の銀行口座を空っぽにしてきた。給料振込み・住宅ローンの引落し・学費の支払い・年金受給60年以上に渡り、常にお金が流れていた口座。生真面目な父は、決して残高0になどしなかっただろう。そのフローはまさに父の人生の軌跡。驚くほど世間に疎い母に、全てを「当たり前」と思わせるほど父は一人で家の経済を握り、家計を回し続けてきた。それは世帯主として当然の様に思われるけど、人が生きる上で、本当に大切で地味な戦い。父は孤独だったと思う。そして一抹の達成感に溢れていたと思う。今、私自身がそうであるように。もっと、父とお金の話しをすればよかった。各々の小さな責任を、精一杯果たす同志として。本当に見送るみたいで、最期まで言えなかったよ。お疲れさま。 ありがとう。父のもとで育ち、今、自力で戦える私があることに感謝。
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私たちに選べること

夫の友人の訃報が届きました。私も夫と結婚する前に2回ほど会ったことがある人です。昨年の今頃は「またコロナが落ち着いたら飲みに行こな!」という会話をしていたそうです。蔓延防止が解けた11月ぐらいに一人で遅くまであちこちで飲み歩き、酔っぱらって転んだ時にコンクリートの角で頭を打ってしまい、誰かに発見された時はすでに亡くなっていたのだそう。まだ50才という若さだったのに。そんなあっけない亡くなり方をしたなんて。一人暮らしをしていたので、夫の元に知らせが入るまで半年以上もかかったようです。私たちはどの場所(国)で、どのような親の元に生まれるかを選ぶことはできません。選んで生まれていると言う人もいますけど(^^;)そしてどのような最期を迎えるかも選べません。直前まで元気に演説をしていた人の命が一瞬で奪われることもあるのです。だけど、生きている間だけはどのように生きるか?が選べます。誰を恋人(友人)にするか、どこで働くか、何に夢中になってどこへ旅行に行って何を楽しむのか。大人になって経済力さえ身につけたら、誰と暮らして誰から離れるのかも選べます。どういう最期になるのかわからないからこそ、今を大切に自分が楽しくいられることを考えましょう。「あいつらしい最期やな」と夫や他の友人たちは思ったそうです。短くても幸せだったのなら、この世に生まれて良かったと思える人生だったのならそれはそれでいい。そういう人生を選んで行きたいものです。
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管理栄養士とは?

「食べる」という行為に含まれるものは人生の総決算なのか?「管理栄養士」と言われ、どんな仕事を思い浮かべますか? 中高年の方であれば、 学校給食を作ってくれて、給食を媒体に栄養のことについて教育してくれた「給食のおばさん」でしょうか。 今現在子育て中で、お子様を保育園に預けている方は「保育園で食育をしてくれるお姉さん」でしょうか。 生活習慣病があり病院に通っている方は「栄養指導をする人」かもしれません。 管理栄養士といったら「これ!」という仕事はありません。それは医者や看護師にも、内科・外科・小児科など専門の科があるのと同じです。 学校の給食作りを指示指導することを専門として頑張る管理栄養士、 保育園で子どもたちの食育や美味しい食事やおやつ作りを専門として頑張る管理栄養士、 糖尿病の栄養食事指導のプロフェッショナルとして頑張る糖尿病病態栄養専門管理栄養士、 会社の社員食堂で社員の健康に配慮した食事を提供しようと頑張る管理栄養士、 歯科クリニックで歯と栄養と食事についての事業展開を広げつつある管理栄養士、 などなど・・・。 管理栄養士という仕事は本当に多岐にわたっています。 共通していることは 栄養と食事=健康管理 即ち、管理栄養士の仕事とは、 人々の健康を管理する仕事だと考えることができます。 しかし、この人々の健康を管理する ということに引っ掛かりが出るのが、高齢者を対象とした時。 当たり前ですが、生は永遠ではありません。 もう残り十数年、何年と生きられないと心に抱いた時に、健康のためにと栄養や食事を管理されたいですか?高齢者の場合、健康の定義が広がり考える視点が増えます。 個
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一族の勇気ある選択

最期は在宅か施設か「お父さんを家で看取りたい」と恐らくはあと数日の命であるご入居者様が、先日特別養護老人ホームからご自宅に緊急退所されました。 そのご入居者様は誤嚥性肺炎のため発熱、救急搬送で急性期病院に入院しましたが、急性期病院ではできる治療はなく、食べられないまま施設に帰ってきました。 施設に戻られてからも食べられないし水分を摂ることもできないので、施設往診医の判断により看取り期としてご家族様とのインフォームドコンセントとなりました。 当初ご家族様は「最期まで施設でお世話をお願いしたい」と言われていましたが、その翌々日には「家に戻して家族で看取りたい」と言われました。 「家に戻したい」と言われる2日前に「お看取り」となったので、コロナ禍ではありますがご入居者様とご家族様の面会が認められ、 熱心なご家族様は入れ代わり立ち代わり複数人が施設に来られ、ご入居者様の姿を見ているうちに気持ちが変わっていったのかもしれません。 「あの状況で家に帰ってどうするんだろう」 「私たちの介護が信用できないんでしょ」 「朝から夕方までずっと面会して、無理に食べさせて飲み込めないもんだから吸引して、そんなの繰り返して疲れさせて熱出てんのに」 「あーでもないこーでもないとうるさいから早くご希望通り退居させてよ」 などなど介護職員から声が上がり、緊急退所となったことで施設は一瞬騒がしくなりましたが、帰ってしまえばもう関わりのないご入居者様とご家族様となりますので、台風が過ぎ去ったあとのように現場は静かになりました。 賛否両論あるんだなと思ってご家族様と職員とのやりとりをみていました。 というのも私は在
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