「生命倫理と死生学の現在④」 ~人は何のために生まれ、どこに向かっていくのか~
(2)「生命倫理」の柱となった「自己決定権」の意義
①ドストエフスキーに見る「生」と「死」の「自己決定権」
ドストエフスキーの「死刑」体験~「生」と「死」の「自己決定権」を考えるとき、「自己を超えた世界」でこれが左右されているのではないかと思わされるのが、ドストエフスキーの事例です。
1849年春、27歳の新進作家ドストエフスキーは教会と国家を誹謗したとの理由で逮捕され、8ヵ月後の12月末早朝、彼は同罪の学生、教師、士官ら20名と共に判決を言いわたされることになり、留置所から出されました。「単に集会で話しをしていただけなのだから」と皆楽観していましたが、外には護送馬車が待ち、囚人達は行く先も知らず、真っ暗な道を運ばれ、着いた先には死刑台が組み立てられていたのです。一人一人、「銃殺刑に処す」と告げられ、司祭に懺悔を求められ、服を脱がされて、死に装束を着せられました。まず3人が杭に縛られ、ドストエフスキーは6番目と決められます。銃を構えた兵士達が並び、5分後には自分は死ぬだろうと思った彼は、零下10度の戸外に半時間も立たされていたにもかかわらず、「寒いと感じたかどうか記憶がない」と言います。あまりの早さで迫りくる死に、感覚が麻痺してしまったのです。
「もし死ななかったらどうするだろう?もしまた生きることができたら!それはなんという無限だろう!それは全部、自分のものなんだ!もしそうなったら、一瞬一瞬をまるで百年のごとく大切にして、なにひとつ失わず、どの瞬間だって、けっして浪費しないように使うようにしよう!」(『白痴』)
そこへ早馬が到着し、「皇帝の温情により、減刑」と告げられ、「
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