“運命”と“命運”
日本では“運命”と言いますが、中国では“命運”と言います。辞書等で調べれば同じ意味なのですが、本当はその意味するところは全く違います。“命”とは生まれた時に既に決められた、生涯を通しての天運、宿命、存在意義、レール的な意味合いです。“運”とはそこに付随する後天的な運や星回り、環境、人間関係等の吉凶でしかありません。そして完全に運をコントロールしたとしても、大運天冲殺の陽転等の順風な環境下でも、そもそも定められた“命”を大きく一脱する事は容易ではありません。世界を牛耳る財閥(支配者層)に生まれるとか、王族に生まれるとか、石油王のご子息に生まれるとか、そういった環境下に生まれた人と、普通の人が例え大成功を収めたとしても、その域に達する事はほぼ不可能です。“運命”とはそもそも不平等なものです。せいぜい人間の寿命が100年くらいではその不平等さは埋まりません。もしその人生が10倍とかあるのであれば、人はある程度平等にはなるのですが…。そして本来の考えとして“運”では“命”を超えられない。“命”の方が“運”よりもはるかに影響力があるので、命が1番、運が2番なので“命運”であり、“運命”とは言わないのです。ただそれは人の努力を否定するわけでは全くなく、本来その人の努力や思考が“現実化”する、不動の財産(お金の意味合いだけでなく)になるのには、代を跨ぐ必要性があるのです。親から直接受け継ぐ事ができるものは、所詮“肉体”と“思考”くらいなもの。今の意志や努力が“現実化”し始めるのは短くても孫や更にその先の代なのです。私の留学時代周りは誰もが知る大企業のご子息や自社ビルを何棟も持っているような不
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