変わったタイトルだと思いましたか?
SNSに「誰かに何かを頼むことができない」という言葉をみかけました。その原因を考えた時、原因としてこの仕組みを思いついたのです。
私達は海外諸国に比べて、出ていくお金に名前をつけたがる傾向があります。
例えば、結婚のお祝い。葬式の香典。入学祝い。お年玉やちょっとしたプレゼントなどなど・・・
どれもちゃんと自分の名前を書いてお渡しします。
これについて異論はありません。しかしそこには知らず知らずのうちに「名前を書いて出しているのだから、それに見合ったお返しが自分に帰ってくること」を無意識の間に期待している自分がいます。
反面、災害への寄付を始め、路上パフォーマンスなどに対しては、やっている方も多いのですが、その金額はやはり海外に比べてさほど大きくないようです。
これは宗教感の違いもあると思いますし、日本人の性質や性格も影響しているように思います。
どうでしょうか?一度思い切って万札をどこかに寄付してみませんか?
勇気がいりますが、お返しを期待しない善意というものを経験しておくのはいいことだと思っています。それを経験すると、あなたが名前を書いてお渡ししたものに対して、相当するお返しがなくても腹が立つ割合が減るのではないかと思います。
お祝いや寄付などの「善意」は、そこに見返りを期待しないというのが基本です。だから本来は名前など書かなくてもいいのです。
あなたが誰かに何かをしてあげてもお礼はなくてもいいという気持ちが出てきますし、最初に書いたSNSのように、何かをしてもらってもお礼をしなきゃいけないとストレスに感じるから誰かに何か頼むのが苦手というような、ややこしい考えがなくなると思うのですが、いかがでしょうか?
あげたい時は名前を言わずにあげる。もらう時は素直に感謝する
裏は読まない。それだけでいいと思います。
シンプルに生きませんか?