白い靴下をスペイン人は許さないのか?

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私:1996年製作のスペイン映画『Brujas(邦題:17歳)』を簡単に紹介してくれる?

ChatGPT:1996年のスペイン映画『Brujas(邦題:17歳)』は、 Álvaro Fernández Armero(アルバロ・フェルナンデス・アルメロ)監督によるドラマ・コメディ映画です。この映画では、4人の若い女性たちが主人公となり、彼女たちの友情や人生の旅路が描かれています。それぞれ異なる背景を持つ彼女たちは、偶然の出会いから共に行動するようになり、共通の目的を見つけるための旅に出ます。成長と友情、人生の岐路での自己発見をテーマに、彼女たちがともに過ごす中で経験する出来事が物語の中心となっています。

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 ChatGPTは説明の中で4人、画像の中で5人の女性たちを描いてくれたが、実際のこの映画の主人公は3人だ。好きになった男性を探すパトリシアは17歳、人生に疲れたソルは27歳、中年離婚で家を飛び出したバージニアは47歳ぐらい。女性の下世話な冗談を大々的に物語に散りばめたコメディで、GPTが説明してくれたほど整った映画ではない。フランスほどの生々しさは無いが、言い合っている事は結構下品で野蛮。物語展開にも特に山はなく、パトリシア役を演じる若き頃の女優ペネロペ・クルスと異国の街角を観られるという以外にこれといった魅力はない。
 そして、相変わらず日本語の題名はまったく機能していない。この物語の中で「17歳」が一体どこにマクガフィン(物語を動かす小道具)として役立っていたのかは全く不明。女優ペネロペ・クルスを全面に押し出して興味を集める算段なのだろうが、こうした物語性を無視したマーケティング優先の翻訳は本当に大嫌いだ。原題のBrujasは「魔女たち」「魔女の集会」といった意図のあるスペイン語。この作品はねじ曲がった女性たちの奇妙な喜劇なので、まさしくその題名がふさわしい。日本語ではそのまま『ブルハス〜オンナ3人の珍道中〜』とでもした方が良いのではないかと思う。
 このようにさしたる特徴のない作品ではあるが、ひとつだけ妙に気になる会話があった。それは、27歳のソルが17歳のパトリシアを心底小馬鹿にしながら、「あんたって白い靴下履いてそうだよね」と言った場面だ。パトリシアはその皮肉を引き取って、「そうそう、私の荷物の中身はぜんぶ白い靴下だよ」などといがみ合う。これは両者共に「白い靴下」が「幼さ」の蔑称になるということが共通観念としてあるからこそ成立する会話である。
 スペインでは女性が白いニットの靴下を履くのは幼少時代や学生時代のみであり、その後の成人女性がこれを履くのは幼稚である(ダサい)と思われるのだろうか。妙に気になるので、このスペインのファッション感覚についてスペイン語系のファッション記事を漁ってみることにした。すると、意外な事が明らかになった。彼らにとって「白い靴下」は絶大に輝き、そして没落したようである。
 "Vida y muerte de los calcetines blancos(白い靴下の生と死)"という大々的な題名の記事を読んでみると、どうやらスペインでは80年代にスポーツ用の白い靴下がファッションの最先端となった時期があるようだ。しかし90年代に入ると一気にその人気が廃れてしまい、かえって「ダサさ」の代名詞となったという。そしてその90年代のスペイン人は、まるで親の仇のように白い靴下を嫌うようになったらしい。
 記事には次のように書かれている。

"普遍的な嫌悪が彼ら(白い靴下)の名声を根絶した"

"ただ履かないだけでは十分ではなくなった。靴下の引き出しの奥に紛れ込んだ白い靴下が偶然見つかる可能性があったのだから。そうした時、我々は思い出や懐かしさを惜しまず、あらゆる手段でそれらを取り除くのが賢明だった。たとえば、私の従兄弟は高校の最初の週に、白い靴下とローファーを組み合わせて笑われた後、家に帰るとそれをトイレに流した。翌日、彼らの家族は配管工を呼ぶ必要に迫られた。"

"友人たちがあなたの白い靴下を不思議な目で見始めたことに気づき、「靴に白い靴下を合わせるのはもう二度としない」と誓うようになった。その誓いはあまりに厳粛なものだった。ちょうど紀元前5世紀にアテネで30人の僭主が、スパルタとの軍事的敗北を思い出すことを禁止し、市民一人ひとりに「敗北の不幸を思い出さない」と誓わせたように。"

 スペインのファッションブランド大手のZaraに取り扱いがあるし、時代も流れてファッションの傾向も変わっていると思うので、彼ら(白い靴下たち)は許されたのではないだろうか。しかし、あくまでもこの記事では次のようにしめくくっている。

"La calle no volverá a rendirse a los calcetines blancos. Cuando una hegemonía cae, lo hace para siempre, aunque su recuerdo nunca se borra, como pasa con los calcetines blancos, presentes en demasiados millones de fotografías familiares.(世間は白い靴下に屈することはもうないでしょう。覇権が崩れると、その記憶が消えないとしても、決して戻ることはありません。家族写真の中にあまりにも多くの白い靴下が残っているように。)"

 スペイン人の何がそこまで白い靴下を嫌うのか、私にはさっぱり分からない。しかし、そこには何か強烈な矜持があるのだろう。イタリア人が決してパイナップル入りのピザを食べないのと同じように、欧州ならではの美的感覚がきっとそこにあるのだ。

※画像:DALL-E
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