息子の卒業式の涙の、本当の訳

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コラム
先日は、息子の小学校の卒業式でした。息子よりも私の方が、ずっと寂しさを感じていたと思います。

春は節目の季節でもあるがゆえ、「もう戻らない月日への思い」を巡らしておりました。

「もう決してやらない事への寂しさ」が次々と思いだされました。

毎朝の登校班の集合時間に遅れないように、息子と一緒に集合場所へ行かなくてもいい。
見守り旗当番のおじさんに、挨拶をすることも、もうない。
しょっちゅう息子を学校に送ってあげることも、もうない。
ラジオ体操のはんこカードを、もう探さなくてもいい。
担任の先生からの電話も、もう来ることもない。
裏側の門をくぐって、大きなイチョウの木を見上げることも、もうない。
同じクラスの子供たちに、手を振ることも、もうない。
連絡帳に、先生とやりとりすることも。
面倒だと思っていた懇談も。
地区委員として、時にはトラブルがあったことも。


もう過ぎ去り、二度とない。当たり前だった日々の断片は、もう二度とこない。
色々嫌なことも、辛いこともあった。だけどそれも、「生きていたからこそ」でした。
この6年間は、親子ともども、すごく頑張った日々でした。
私にとってこの6年間は、以前の私からは考えられないほど成長できた日々でした。


生きているからこそ、味わったさまざまな思いを。この先もずっと忘れないでいこうと思っています。
そう、私たちは、生きているからこそ、たくさんの苦しみを味わいます。
だけどそれも、「生きているからこそ」なのです。
生きるとは、私にとって、自分の中にある感情を味わい尽くすことでもあるのです。

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