人生を語る前に、
まずは生い立ちから。。。
そこそこな毒親に育てられた
わたしの行動の全てを把握し、支配し、
思い通りに動かしたいという過干渉なくせに、
教育には興味がない、という親。。。
(そしてなぜか他の兄弟には、ネグレクト級の無関心)
わたしとその兄弟はこの親が為
「やりたいことは自力で 稼いでお金を貯めてからやる」
という試練に見舞われたのである
「高校は出ろ」
と世間体のために言われるが
「公立しか受験するな」
という注文付き
「部活はしろ」
というが
部活にかかる費用を出さない、
という矛盾っぷり
我が妹は、
高校を出てから死に物狂いで2年働き
↓
とある分野の専門学校(2年制)に自力で行き、
↓
通ってる間に
「行きたい職場」に猛烈にラブレター
(そこで働かせてください!)を書き続け、
↓
社長から
「来てもいいよ」
というお言葉をいただき
↓
1年で専門学校を止めて
↓
何十年も経った今では、
その道の第一人者である
われわれには
「みんなが行ってるから、なんとなく大学/学校に行きました」
なんて選択肢はない
あるのはド根性だけである
例えば、お見合いの「釣り書き」を書くとすると
・高卒
で
・専門学校中退
だ
人から見た
「肩書」=「外側の外装:ラッピング」
など、
その中身である ”彼女自身の価値” とはまるで関係ない
そんな人生を送っている
わたしは、海外在住中に子育てをしながら、
思い立ってその地元の大学に入学してみた
動機はいともシンプル。
その時わたしは
「勉強したかった」
のである
「そもそも入れるのか?」
という大きな疑問があったがチャレンジしても損はないし、
・・・結果 入れたのだ
4年やり切れるのか?と思ったこと↓
・ワードを使い、エッセイ、小論文、論文、その他提出物をやる
※”ワード” を使うのは初めてだった( ´艸`)
・パワーポイントでプレゼンテーション用の資料を作り、当然、プレゼンテーションをする
※パワーポイント使うの完全に初めて( ´艸`)
・大量の本や論文を読まねばならん(ネイティブの5倍くらいの時間がかかる)
・・・
4年後の
「卒業してる自分」
という未来像が見えね~
と思いつつ、ヒーヒー言ってた
1年目:もたない…いつやめようか?
2年目:…倒れる~~~っっ
・
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・
3年目:「あと2年しかないじゃん」
と思ったのである
何か始めるとき、全ての準備が出来てやる、
なんてことはない
やり始めてから
「必要なもの」
「必要な知識」
「必要な技術」
を必死でかき集めていくのだ
はじめは周りに友達が居なくても、頼れる人、助けてくれる人、は居る
自分が、頼るかどうか、なのだ
困っている時や辛い時にそれを言えるのも、
助けを求めることができるのも生きる力の一つだと思っている
[他人から見た自分]なんぞ、どぉぉおでもイイ
心底、ど~でもイイ
例えば明日で命が終わる時に
「他人から見た自分」
など気になるだろうか?
もっと自由にすれば良かった
もっとしたいことを思いきりすれば良かった
と、思わないだろうか?
人生とはOOだ、
に言葉を入れるとしたら?
考えてみて?
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ある人は「冒険だ」といい
ある人は「経験だ」という
わたしにとっては
人生とは「今わの際(死に際)」である
あと少しでシぬと分かっており、
時間があるなら、
自分の人生を振り返るだろう
そこで振り返って見えるものが、
自分の人生、
なのだ
わたしはその時に
「我が人生に悔いなし」
と言いたい
全力で
常にやりたいことをし、
納得しなきゃ決して諦めず、
次々と色んなことにチャレンジし、
「自分」を更新し続ける
年齢は関係なく
他人から見た自分なぞ関係なく
我が人生に悔いなし
そう言ってみせる