「相手に合わせるということ」

記事
コラム
今回のテーマは、
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◆「相手に合わせる」ということ
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「もっと自分らしく好き勝手にやっていいよ!」
こういったことは色んな場所でよく言われていますよね。
とても心地良い言葉だと思いますし、
私も素敵だなって思います。
今回はそれを否定しようと思って
取り上げたわけじゃないんです。
逆に、
この主張を今更ながら良いぞってよいしょするつもりもありません。
もう誰もが聞き飽きていると思うのです。
私が今回
「ちょっとそれは極端なんじゃない?」
と思ってテーマにしたいことは、
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「相手に合わせるのは悪いこと」
という風潮なんです。
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【相手に合わせる=自分がない、悪いこと】
みたいなイメージが持たれがちなようなのです。
「相手に合わせる」っていうのは、
相手によって態度・接し方を変えると言うことにも言えます。
もちろん、
意見を合わせるということもありますよね。
それらを統合しすることで、
「相手に合わせる」というコトにします。
そうやって相手に合わせたりしていると、
「お前には自分の軸がないのか!」
と言われたりするわけですね。
しかし、私は思うのです。
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別に合わせたっていいのでは??
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って思うのです。
【相手に合わせる=自分らしくない】
っていう極端な考え方は、本当に手放した方がいいんです。
だって、
表面上の態度や接し方の問題ではないからです。
例えば
大好きな恋人とドライブに行くとしましょう。
その時に
あえて自分の好きな曲を流さず、
相手の好きな曲を事前にスマホに入れておき、
そればかり車内で流す・・・・・
これ、相手に合わせてますよね?
だけどこれって
お互いに楽しくなれると思いませんか?
自分の好きな曲がかかって喜んでくれる恋人を見て、
きっとあなたも嬉しくなるはずです。
それに、
その曲をきっかけに相手のことを
もっと深く知れる話が出来るかもしれません。
昔の思い出話が飛び出てきたり。
これって悪いことじゃないですよね。
相手の歩くスピードに合わせるのだって、
お互いが楽しくなれるコトだし、
相手の好きな話題に合わせるのだって、
お互いが楽しくなれるコトです。
だから、
相手に合わせていいんです。
ただし
「嫌われたくない」という思いで
顔色伺って自分を抑え込んで意見を合わせるのは、
息苦しいのでそんな生き方をオススメしてるわけじゃありません。
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好きじゃないものに対して「好き」と言うのは、
無理に同感して自分の意思を放棄する行為ですが、
好きじゃないけど相手が好きと言ってるものに
「ちょっと分かる(一理ある)」と共感するのは、
新しい価値観を受け入れて自分の世界を広げていくものです。
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無理な同感は、「自分」を失っていきますが、
自然な共感は「自分」を広げていくんです。
どんどん柔軟になっていきます。
「相手に合わせる」という行動が
問題なのではなくて、
その行動の源が問題なわけなんです。
ようするに、
「好かれよう」とか「嫌われたくない」という
自分本位な気持ちで合わせるのは息苦しくなりますが、
「一緒に楽しみたい」という
シェアの気持ちで合わせるなら良いのです。
表面的には自分を変えているように見えても、
「楽しませたい」という軸は変わってないですから。
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自分を守るための「相手に合わせる」か、
シェア(共有)の気持ちからの「相手に合わせるか」
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大事なのは、
相手に合わせるかどうかではなく、
その時の自身のマインド(気持ち)次第だということですね。
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