人生という小説の主人公は「あなた様」

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コラム
そもそも英語の学習も「三人称単数」というようなものが出てくるともう、雲行きが怪しくなり、楽しくなくなるものだ。三人称、というネーミングが失敗だと思う。昔の偉い人が考えたのだろうが、三人などというから、てっきり人数のことか思ってしまう。三人だから、複数、なのに三人称単数だなんていったい何だよ、と思ってしまうのも無理はないと、私は考えている。
私はよく、「小説なんて、所詮つくり話」「国語の教科書や問題に出てくる小説はおもしろくない」「国語の小説はストーリー展開よりも人間の心情(の変化)に重きがおかれているのでそれを確実に読み取ることが大切である」のような趣旨のことを言ったり書いたりすることが多い。そして、(国語に出てくるものに限らず)小説というものは、「人称」で言えば「一人称」か「三人称」のどちらかで書かれている。一人称小説の場合は特に「私小説」と呼ばれ、「私」を主人公として話が進められる。作者はおっさんなのに妙齢の女性や思春期の「私」になってスト―リーを展開させてゆく。日本人はこの私小説が好きと言われる。三人称小説というのは、太郎や花子のような一人の主人公がいて、その一人の視点で描かれる小説である。私小説の場合は当然のことだが、三人称小説でも「視点」は主人公に固定されていて、心情が直接書かれているのも主人公だけである。他のキャラクターの心の中までは記述されないのが普通だ。「神の視点」という手法であらゆる登場人物の心理が描写されている小説もないわけではないが、きわめて珍しいといってもいい。
 コミュニケーションというのは、発信者がいて受信

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