三つ子の魂百まで

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コラム
三十年以上も塾の講師をする中で、様々な生徒さんに出会ってきた。アイドルになった子、有名人のいとこ、お笑い芸人を目指して高校卒業後にNSC吉本総合芸能学院に進んだ男子など、本当にいろいろな人生に遭遇した。そんな中でも、印象的な兄弟がいる。別に有名人になった訳ではない。正確に言うならば、兄妹だ。入塾するためのお問い合わせの電話を受けたとき、「中学3年生を3人入れたいのですが。」と先方がおっしゃるので、てっきりお友達も一緒にか、と思ったのだが、「いえ、きょうだいです。」とのこと。つまり、三つ子だったのである。生徒はもちろん、それまでの人生で三つ子に巡り合ったことは一度もない。そして、その後も皆無であるから、稀有なことと言える。
一卵性双生児の場合は、(少なくとも外見は見分けがつかないほど)うり二つという場合が多いが、そうでなければそれほどでもない場合がある。普通の兄弟が、時間差なく同日に生まれたというだけ、というふたごのパターンである。この三つ子は後者で、性別も、上から順に、男、女、女である。姿形もそれほど似てはいない。それに加えて、性格はまるで違う。さらに、成績の方はというとこれもまた三者三様で、見事なまでに上位、中位、下位なのである。これにはさすがに少し驚いた。
この体験をしてからというもの、学習する能力は両親からの遺伝が多くを決めるものなのだろうかと疑念をもつようになった。「外見」に関しては、「後ろ姿がお父さんにそっくり。」「目元はお母さんによく似ているね。」などということはよくあるけれど、勉強に関してはそれほど単純ではない、という考え方に変わったのである。だから、子どもに「お父さんはあんなに偉い人なのだから、あなたも頑張りなさい。」と発破をかけるようなことは不当なことであるかもしれない、と気が付いたのである。お彼岸も近いが、考えてみれば私たちはご先祖様の、無数の命のリレーで成り立っている。両親は2人、祖父母は4人、曽祖父母は8人…そのあとは16人、32人、64人、128人、256人、512人とさかのぼっていくと10代前では1,024人となる。これは、「10代さかのぼっていった先には何人のご先祖様がいるか」という話であり、合計の人数ではない。両親から10代前までのすべての人数を累計していくと2046人にも及ぶ。実際の昔の社会は、現代よりもずっと狭い世間で暮らしていたので、親戚同士の結婚などというものは珍しくなく(現在でもいとこ同士の結婚は法律的に可能)、そうなるとさかのぼった祖先が同じとなり、実数はもっと少なくなるのだが、それにしてもおびただしい数ではある。計算の練習にもなるため、これ以上さかのぼった先の人数とその総計を出してみるといい。とてつもない数になることがわかるだろう。このうち、たった一組でも出会わなかったり、どちらかが早死にしたりすれば、もう私たちはこの世に存在さえしていないのである。
ご先祖様からの命のリレーは「遺伝のリレー」でもあるような気がする。遺伝のメカニズムは完全には解明されていないし、すべてを解き明かすことも難しいだろうから、断定はできないが、子どもの能力というものは先祖から受け継いだ最終段階なのである。たかが学校の勉強が苦手だというだけで、その子のポテンシャルすべてを否定してはならないと思う。まだまだ未成年者であるその子は、お父さんともお母さんとも違う素晴らしい潜在能力を備えている可能性がある。ゆめゆめ「○○のようになりなさい。」などと肉親と比較してはならないと私は思う。
 三つ子の魂百まで。言うまでもなく、これは「三つ子として生まれたら百歳まで生きる」という意味ではない。三つ子とは三歳くらいの子ということで、「三歳ごろまでに人格や性格は形成され、それは百歳まで変わらない」という意味のことわざで、英語でも同じような格言の一つとしてThe leopard cannot change his spot.(ヒョウは斑点を変えることはできない。)というような表現がある。人格や性格はそうかも知れない。でも、あの頃は可能性がたくさんあってどんなふうに成長するのか無限の未来を周囲は感じた。その夢が、教育の中でだんだんそぎ落とされ、自分の道を狭め、何となく大人になっていくというのはいかにも悲しい。ご先祖様からのバトンを大切にして、自分の将来を見つめて勇ましく走って欲しいものである。

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