自分の制作の背骨の、あらわれの序の口というか。

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コラム


島にいると、明るいうちにお風呂に入れる。
自然光が照明代わりなんだけど、日が長いうちの楽しみだったり。

住宅街というか、ある程度多くの家があるところでは、ひとしきり帰宅時間が過ぎると、明るいが人影が少ない空間みたいなのが出来上がる。とても不思議な時間帯。

気付いたら、パソコンの前いたわ。


今日は大学の頃の話を少し。

大学の頃、写真コースと映像メディアコースという選択をする時になって考えたこととその後の話を。

大学を簡単に言えば、哲学するか芸術するかみたいな頭で入った自分は、大学というところが遊園地のようなところだった。

理由は簡単で、興味の赴くまま様々な学問に触れることができるから。高校の時から、ずっとこんなことを考えていた。(幸い自分の通う大学は総合大学というというところだったので。)


で、コース選択でそのとき考えていたこと
(思い出しながら書いてます、今はだいぶ違う)

写真:個人戦、カメラというハードと向き合う、平面的
映像メディア:団体戦、編集ソフトと向き合う、立体的

映像の実習が軒並み、団体で行う実習で団体行動苦手すぎて映像の選択科目は一切単位を取らず、もっぱら座学と写真の実習で単位を固めていた。

先の遊園地ということもあり、2学年が終わる頃には、ぎっしり埋めた科目を落単1科目にして、卒業要件単位数の2/3を超えていた。(後は、必修のゼミと実習が少しくらいという・・)

当初、写真コースに行くと思ってた。

音楽業界の写真家さんになりたいと、思っていた。アー写とかジャケ写とか撮るんだろうなあて。

が、少し先を考えた時に可能性が広がるのは、と考えた時に映像メディアコースだった。

今だからYouTubeなどの映像が盛んですが、そんな話でなくて、使えるようになるソフトが圧倒的に映像メディアコースの方が多かった。

で、極力、一人で完結したくて映像をつくってた。

そんな中で知ったのが、一人でいるのが好きな先生(卒業制作はこの先生に見てもらうことになる)と、8年生のデザイン学科の先輩だった。

どちらも、一言じゃ語りきれない方々である。

8年生の先輩は、デザイン学科の映像コースというところにいた。

先輩のゼミの担任の方が、自分の学科にいるどの先生より変態(※異常性愛でない)な方だった。何でうちの学科にいないんだ!デザイン学科に編入したい!と言いたくなるくらいの方だった。

簡単にいうと
映像の向かう方向が全然違った。

うちの学科の映像目メディアコースの先生の研究テーマ:以下こぴぺ
映像表現における画質の印象効果
「面白さ」をベースにしたメディア表現およびコミュニケーション
共有仮想環境としてのデジタルミュージアムの役割に関する研究 視点の移動を伴わない共有仮想環境の構築と検討
その先生の専門:以下こぴぺ
メディア芸術における映像芸術の表現/映像表現技術と芸術の理論と表現, 芸術一般


どんだけ方向性違うんだろうと思った。
学科を変えてやろうとも、正直思った。

結論から言うと、一人で完結する映像を模索した結果、松本敏夫さんをはじめとする実験映像というジャンルのおかげで、前衛的・実験的が主なテーマになってた気がする。

編集ソフトで綺麗なものを作ると言うより、抽象画を描くような作品を最初は作っていた。

出すのも恥ずかしいが、こんな具合だった。

解説も読んでて恥ずかしいです。
PCの使用時間も限られる学年だったし、編集ソフトが買えるお金もなかった。当時、こんな映像をつくっては書き出していたが、動画が短いのは、画質をあげれば30秒の動画も3時間近く書き出しに待つことになる。3時間も待ってられないこともあり、実際に書き出したものも少ない。

当時のプロジェクトファイルや他のデータは外付けのHDDに入れてたが、HDD自体が毎年のように壊れてたため今は手元にない。

こんな映像ばっかりつくってたので、正直、映像業界には行きたくないし、そもそも働きたくなかった。大学院にでも行ってゆくゆくはキョージュになっていたかった。

映像の可能性やその裏に張り付いた言説だとか、映像ってなんだ?みたいな作品をつくるのが少し考えていたこと。

今となっては、環境があるのだから少しずつでも、作ろうってなってるなあと、書きながら思うのであった。


結局、就活生になる前になって、出会ったコピータイターの大学の非常勤の先生のおかげで「広告」が好きになった。この話はまた。


ひとしきり書いたところで、暗くなってしまった。
ではまた。

総合デザイン事務所
加藤 空武


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