音楽が終わった後で。。。。。。3 〜Bluesに縛られて〜

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クラプトンを聴き始め、クリーム、デレク&ドミノス、ブラインド・フェイスと聴いたのだが、実際に最初に聴いたアルバムはNo Reason To Cryだった。既にレイドバックした感じになっており、アメリカのミュージシャンとの録音になっていた。先に挙げたバンドよりもクリーム以前の彼のルーツが知りたくなり、ヤードバーズからブルースブレーカーズへと聴き漁り始めたのだった。

特にジョン・メイオールのブルースブレーカーズにはどハマりして、クラプトンは1枚のみで脱退、その後を追うようにブルースブレーカーズのアルバムを買って行った。クラプトンの後任のピーター・グリーン、後にストーンズのギタリストにもなったミック・テイラー。ジャズ志向だった後のマーク&アーモンドなどのアルバムを13、14の小ガキが聴いていたと思うと今振り返ってみると、クソ生意気な変わったガキだったんだろうなあとおかしくなる。

ある時、ピーター・グリーンが結成したフリートウッドマックのファーストアルバムを都内のかなりマニアックな中古レコード店で購入し、嬉々として帰宅する途中、夕立に遭い、店の軒先で雨宿りしていたところ、店員さんが中に入るように入れてくれた。それが恐らく今の原宿キラー通りにあったコシノジュンコさんの店だった。雰囲気に圧倒されて小さくなってレコードを抱えていたら、物凄く背が高く、スリムな男性が「何のレコード?」と声をかけてきた。
それがトノバンさん(加藤和彦さん)だった。袋の中にはそのアルバム以外にもイギリスのブルース系のアルバムがあり、それを見た彼は嬌声を上げ「これ君が聴くの?変わってるよ。この子」と言われたものだった。
わちきとしては「オラは死んじまっただ」の人だと思ってワクワクしてたのを覚えている。やっぱり変わっていたのかもしれない。華やかな店には全く不釣り合いのレコードだった。

それでもブルース熱は冷めず、そこからB.B.キングやハウリング・ウルフなどを聴き漁った。またこの頃、クラプトンの影響もあってか、アメリカの南部のギタリストも聴くようになり、デュエイン・オールマンやロイ・ブキャナンなどを聴き漁ったものだった。

その頃は、ジャズ喫茶、ロック喫茶なるお店が沢山あり、中にはツェッペリン喫茶、パープル喫茶、ジミヘン喫茶と言って、朝から閉店まで一つのアーティストのレコードをかけまくるといった音楽に興味のない人にとっては地獄のような店が沢山あり、その中のブルース喫茶、ジャズ喫茶に入り浸るようになった。そこでマスターから「これ聴いてみろ」と言われるがままに片っ端からブルースのレコードを聴くこととなる。

今では考えられないが、分煙などはなく、店の中は紫色の煙で充満しており、その中でさも分かったような顔をしてコーヒー1杯で数時間粘るという時間を過ごすこととなるのであった。

お後がよろしいようで、また明日。
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