アドラー心理学【トラウマの存在を否定する】は本当か?

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嘘です。あいや、嘘っていうと語弊がありますね。

わたしが個人(アドラー)心理学を学んできたというと、「アドラーってトラウマないって言いますよね!」と激おこされることがあります。「だからアドラー大嫌いです!」とはっきりおっしゃる方もいます。

アドラー大嫌いは問題ないのですが、もしその「トラウマがない」という発言だか発信だかをきっかけに嫌いになっているのだとしたら、大変にもったいないなあ、と思います。

これをおっしゃる方はほとんどの場合、岸見一郎先生の『嫌われる勇気』を読んだのかな? と推測しています。非常に素晴らしい名著であるのですが、引っかかる人がいるのは確かなんです。

なぜ引っかかるのか。

それは、相談的枠組みを超えたところで書かれているからです。



著者と読者の間には「相談的枠組み」ができてない

脳科学ではトラウマの研究をしていますし、トラウマの痕跡はあるとしていますので、それは当然、怒られます。

なぜなら、個人心理学の基本スタンスは「承認を取る」が大前提だからです。

承認を取るとはどういうことかというと、教える人と教えられる人がいて、そのことに両者が合意していること=承認が取れていることです。そこではじめて、相談的枠組みができます。

たとえば、カウンセラーとクライエントの関係がそうですが、日常生活でいえば、親が子どもに対して「意見を言っていいですか?」と告げてから「OK」をもらって、はじめてこちらの意見を伝える、ということになります。親だからってむやみやたらに子どもに意見していいことにはならないんです。これは学校の先生も同じです。

そして個人心理学は、基本は教育のための心理学なのですが、カウンセリングや個人で実践するときに絶対に外せない考え方に「勇気づけ」というのがあります。心理学は科学ですが、科学じゃなくても「そう考えたほうが元気になるならそう考える」というのが根っこにあるのです(とはいえ、もちろん個人心理学も科学なんですが)。



トラウマ学説、この世で最初の論文執筆者はアドラーの娘!

ですから個人心理学ではいつも、(あくまで)相談的枠組みのなかでは「人間が幸福に生きるためにはどうしたらいいか」を気にしていて、事実はどうとか、理論がどうとかを気にしていないんですね。

以上を踏まえていくと、トラウマの「存在を否定する」とか「明確に否定する」という文章が、誤解を生んでいるのだと思います。刺激的に書いたほうが読者を惹きつけるので、ああいう形で書いているのかもしれません。

だってですね、トラウマ学説をこの世で最初に論文にしたのはアドラーの娘であるアレクサンドラ・アドラー(PTSD/トラウマの研究家)なんですよ。アドラー派の人が最初にトラウマを報告しているのですから、存在を否定しているわけがありません

否定はしませんけども、現場では「トラウマが確実にある」とカウンセリングをはじめると、解決(治療)が難しくなると考えます。



個人(アドラー)心理学の正味とは?

アドラー派は、「トラウマって幻想かもしれないですよ」「考え方を変えると気にせず生きられます」と言ったほうが、クライエントさんが幸せに生きられるという考え方なんです。だから現場では、「トラウマないよ」って言い方をすることもある。

これは、いつも、どんな悩みも解決が可能であるってことがカウンセラーにとっては絶対に必要──それが勇気づけだから──なので、トラウマ学説は現場では採用しないってことなんです。

さて、トラウマはあるかないかという理論的な話になると、あるかもしれないしないかもしれない、という村上春樹的な答えになるのですが、「トラウマのことずっと考えてても解決しないよね」「過去のことばかり思い出しても現状は変わらないよね」っていうのが個人心理学的な考え方なんです。

もっと大枠でいえば、悲観的に生きるより楽観的に生きたほうが幸せだよね、ということです。

トラウマを考えたほうが人を援助(勇気づけ)できるか、考えないほうが援助(勇気づけ)できるか、考えないほうが援助(勇気づけ)できるというのが、個人(アドラー)心理学の正味です。


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