人生の積み残し「やり残し」はありませんか?

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コミュニケーションアドバイザーのひろいあしとです。

あなたは人生の積み残しはありますか?


いやいや、そんなものはありません。

「人生、それなりにいろいろ経験してきたので充分です。」

「思い残すことはありません。。。」

と思ってはいませんか?

少し前の僕がそうだったので、そう思っている人がいても不思議では
ありません。

世間でよく言う、あそこへ旅行に行きたかった、お金持ちになって贅沢
してみたかった、豪華客船で優雅に過ごしてみたかった、好きな車や
バイクを買って乗り回してみたかった、趣味に時間とお金をかけたかった。

などなど、人生にはやりたかったことを実現出来ていないことはあるでしょ
うがそれら全てお金で解決できることばかりですよね。

お金で解決できることは仮に実現できなくても心に穴が空くほどの虚無が
襲ってくることはあまりないですよね。
(あくまでも個人的見解なので実現出来ていないことで心が満たされない人
もいるとは思いますが)

ところが最近になって振り返ってみると、人生の積み残しという意味に
おいて恋愛が不完全だったのではないかという疑問が湧いてきました。
過去いろいろな恋愛を経験しましたが、本当に愛し愛されていたのか疑問
に思うようになったのです。

自分は恋愛相手の話を聞きどんなことでも受け入れて、困難があれば一緒に
解決していこうと励まし、そばに居たつもりですが、自分からは恋愛相手に
話せることと話せないことを取捨選択していました。

考えてしていた訳ではなく、一度話して悲しい顔をされたり聞きたくないと
言われたりして、オートマティックで話せないことが増えていった具合です

愛するが故に悲しい思いをさせないため、自分の弱みや相手が嫌がることを
言わなくなった。

そうすると何が起こるのか・・・

自分は相手を愛してるということは分かるが、果たして自分は愛されている
のだろうか?

その時の僕にはわからなかったのですが、言えないことが増えてくると、
ひとりの時間を欲するようになりました。
別に何をするわけでもなく、誰にも気を遣うことなくのんびりとする
時間です。

そして浮気を疑われ窮屈な思いをしだす。。。

今思うと自分の全てを受け入れてもらっていない感覚があり、ずっと
心にスキマが出来ている状態だったのかもしれません。

だから人生の積み残しがあるとすれば、裸の心の自分を受け入れて
くれる人と一緒に過ごすことでしょう。


その時には案外、話せない内容があるのか気が付かないものです。

今、パートナーがいる人は一度振り返り、相手と裸の心で向き合えて
いるか見直してみるといいでしょう。

今から、パートナー探しをする人はどちらか片方だけではなく、
互いに裸の心でいられるひとを選ぶようにした方がいいです。

心を着飾って誰かと生きていくのはひとりで生きていくより苦しい
ものです。

人生の積み残しをしないためにも裸の心でいられているか確認
してみて下さい。

byひろいあしと






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